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2014年 01月 31日
消極的でも、選挙に行こう!一般の人たちのブログでもFacebookでも、選挙運動の記事はなかなか反応しづらいモノがある。あれもいいけどこれもいいと言えるジャンルなら、少々独特でマイナーでも「いいね!」と反応できるが、二者択一だったり、一つを選ぶことは他を否定することである場合は反応しづらい。
だからか?多くの人たちは、選挙のような、二者択一だったり、一つを選ぶことは他を否定することである場合は立場を明らかにしない。公共の機関はもちろん避ける。公務員は(自分の意見を言ってもいいのだけど)それが教室だったり公務の最中だったりだとアウトだからついつい慎重になる。 ちゃんぽんがうまい、○○屋のケーキがうまいは写真つきだと拍手喝采「いいね!」と言ってもらえる。ラーメンを否定したわけでもなく、△△屋のケーキを食べないのでもないからだ。 僕ら政治家は、基本的に自分の考えを明らかにするために賛否を明らかにすることも多い。同じく政治的意図があってすべてに賛否を明らかにしない場合もある。誰でもそうだが、なかなか100%賛成にはならないからだ。極端な場合は51対49で賛否を決めることさえある。議員は全ての議案に賛否を表明しなければならない。結構つらいものがある。 さて告示締め切り後、新たな立候補者の可能性が消えた後は積極的判断ではなく消極的判断の段階に入る。ネット応援解禁になったので、僕の意見を発表しておこうと思う。消極的応援というのは、全面応援ではないということで応援される本人もいい気持ちはしないだろうが、公人ということでお許し願いたい。 「知事選はともかく、補選はどちらに投票すればいいんだろう。」と質問を受けることが多い。僕に声をかける人は話を聞いても、最後は自分で判断なさる方が多いわけであるが、この質問の意図は知事の方、二人の政策はかなり開きがあって、判断するだけの違いを認識しているという意味であるし、中村氏が現職であるから現状容認なら中村氏、現状不満なら原口氏という判断の仕方もある。 前回のように理想は3番手4番手だけど死に票にしたくないとき、1番手不信任ゆえに2番手に入れようか?理想の死に票を投じようか?という複雑な悩みも今回は発生しない。二者択一だ。 僕はイサカン開門拒否に代表される現職中村氏の諸施策はよろしくないどころか間違っていると思うから、新人ゆえに実力は未知数ながらその公約する政策のかなりの部分を支持して原口氏に投票する。「負けるとわかっていて投票する気になれない」などえらそーなことを言って棄権する人がいるがそれは間違いだ。次点が確定するだけの確定投票数をまずは押さえるためにも投票しなければならない。どんなハプニングが起こらないとも限らない。繰り上げ当選の可能性もあるのだから。 ところがところが、補選の二人、選挙公報を見る限りほとんどまったく違いが判らない。ポスターを見ると大場氏が自民党推薦になっていて、山本氏はそうではないのかな?と思う。 新聞報道によると、両候補とも自民党の推薦は受けているが、両候補とも公認は受けていないとのこと。公認も推薦も有権者にはどっちでもいいのだが、分かりにくい。当選者定数が一人なのに定数以上の数を推薦するのはいかがなものか? そんなこんなで、元同僚議員として二人のどちらが投票するにふさわしいかと聞かれるわけである。その質問者は、結構熱心な人で市議会もよくケーブル視聴なさっている方であるが、それでも両者の違いがよくわからないというわけだ。(どちらが良いかという判断も付きかねる)というわけだ。 この二人、同じ自民系連合会派にいて、賛否についてはほとんど同一歩調だったのだ。この二人賛否が分かれた事例の記憶がない。 僕らが、旧有明町地区の水道料金を是正する条例を提出した際も二人とも反対に回った。先日の問題多き決算の認定においても、不認定には回らず容認した。 僕の報告会では、彼らはどうにもならんと切り捨ててしまっているから、まさに「どちらもダメ」であって、違いが判らないわけだ。 しかし何度も言うが、僕は自分が議員であるがゆえに自分も含めて議員に厳しいわけで、だからこそ僕がそれこそ全身全霊を込めてしかも合理的理由を付けて提案したり、反対しているのに同調してこないのは何故だ!と言いたくなるわけだが、それでも彼らとて多くの支援者の票を積み上げて当選してきた議員である。日々支持者の間を走り回り、熱心なまじめな市会議員がほとんどだ。 僕とは主義主張が違うだけで、僕なんかより頑張っている、と素直に自分以上を認めざるを得ないことも多い。 では二人の差や違いはないのか、それは歴然として、ある。 山本氏の方がはるかに議員にふさわしい。彼は当然とはいえ市議の間毎回一般質問に立って、しかも自分ならこうするという提案をいつもセットにしていた。 色々注文したいことはある。傍聴者にとって分かりやすいと言われる一問一答方式は採用せず、最後まで頑固に一括質問方式だった。対理事者にとってまたも質問が個別問題であっても全体と体系だてた質問だったため、あえて一括を採用したのであろうが頑固ではなかったか。 ちまたで彼は一橋大を出て経済に明るい云々で、学歴や能力として彼の財政通を評価する向きがあるが、僕はそうではないと思っている。彼はほかの議員より時間をかけてじっくり議案や予算書決算書を丁寧に読み込んでいたというのが正しいと思う。そこの能力学歴経験が密度速度を加速しても、絶対時間そのもののかけ方が違っていた。 大場氏とは10年半・山本氏とは6年半の付き合いながら、山本氏とは特に総務委員会で6年一緒だったこともあり、予算委員会や決算委員会でも理事者の提案をまんべんなくチェックしていた。大場氏はそうした議案審議という意味では(勉強していたけど質問しなかったとか、議場外で直接担当者に当たって解決していた部分はあろうけれども、それを言えば、僕も山本氏も、場外は場外でやっていた。)、発言回数は多くなかった。 おととい(1/28)行革委員会で改めて思ったのだが、そこには二人はもういなかったわけだが、理事者の説明と我々議員のかみ合わないギロン、会議の空転で「山本氏の不在」を強く感じたのであった。彼は同僚議員の思い込みや勘違い理解不足をうまく補う質問を要所要所で入れてくれていたなあと思い出させてくれたのである。 僕のまっすぐな物言いは、思い込みや勘違い理解不足の議員にはカチンとくる、かえって硬化させてしまう場面がしばしばであった。そこが山本氏の質疑で交通整理が出来て理解が進むのであった。そういった意味で島原市議会になくてはならない存在であった。理解を助け深める委員会に一役買っていた。 その山本氏が島原市議会から不在になるのは大きな損失であり、あと1年半が思いやられる。しかし、島原市議会にもまして形骸化の激しい長崎県議会においては、山本氏のような存在は貴重であると思う。健闘を祈りたい。
by mmatusaka
| 2014-01-31 02:13
| 島原から日本を変える
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