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2017年 12月 01日
教育現場のいじめにも通ずるし、教育委員会の隠ぺい体質に通ずる相撲協会の常識があるようだ。教師の体罰も同じ背景だ。一言でいえば暴力を容認する風潮がある。 連日、森友・カケ疑惑は報じられず今回の日馬富士暴行事件。またいつものことだと思った人たちも多いと思う。政権に疑惑が起こると芸能界スポーツ界のスキャンダルが暴かれる。ニュース番組を見るとこれでもかこれでもかとこの事件のことばかり。 出回っている貴ノ岩の頭の傷の写真。警察等公的機関の認定を待って議論されるべきだろうが、この写真を見て納得した。多分本物だろう。 鳥取での暴行事件の翌日、貴ノ岩関は巡業相撲で土俵に上がりしかも勝っている、その動画ではケガ人とは思えない。しかし、髪に隠れたこの傷ならマゲに隠れて見えない。 多勢に無勢の中で、けがを負わされた貴ノ岩にも(言葉・態度で)非があったとされて喧嘩両成敗で和解にされてしまっていたようだ。階段で転んでできた傷が一転、暴力を受けた際の傷とわかった時点で貴乃花親方が警察に届けたのは賢明だ。その貴乃花を非難する世論が僕には不思議でならない。 いじめられる側にも問題がある。とか。 被害にあう側にも問題がある。 強姦される側の女にも強姦してくださいと言わんばかりのスキがあった。と。 暴力教師が、生徒の態度と天秤にかけられて、和解という名でその暴力を許される。許されるどころか、賞賛される。「よくぞうちの息子の非をとがめてくださいました!このくらいの傷は先生の愛のムチ(無知?)の証でございます。」と。 引退会見に及んでも日馬富士は、指導が行き過ぎたという立場を崩さなかった。相撲界ではつい数年前まで(ひょっとしたら今も)親方が竹刀やビール瓶で弟子を殴るのは日常茶飯で、度を過ぎなければOKなのだから、(部屋の中でのことなら全くおとがめなしなのに、なぜ?)納得がいかない様子。当然謝罪もない。 このままでは、大量破壊兵器を持っているかもしれないとしてイラクが集中砲火を浴びてなお、ミサイルを撃ち込んだ側が非難されることもなく、今も世界に君臨しているように。近いうちに北朝鮮に向けてアメリカからミサイルが飛んで、沖縄から米戦闘機がピョンヤンに爆撃を開始しても、容認されるのだろう。悪いのは北朝鮮の態度だ、と。情けない。 「暴力は絶対ダメだとの大前提で言いますが、貴ノ岩・貴乃花側にも問題がある」という言い方。アメリカが広島長崎に続く核攻撃を北朝鮮に仕掛けたとしても。テレビに雇われた評論家たちはこう言うだろう。「核兵器攻撃は絶対ダメの大前提で申し上げるが、北朝鮮側にも問題があった。済んでしまったことは仕方がない。二度と暴力=核攻撃はあってはならない。」と。 小5か小6の時だった。隣の2組の担任が、音楽だけは受け持っていた。その音楽の時間、僕は隣の席の友達とひそひそおしゃべりをして、手元に持っていた「おそ松くんチューインガム」の包み紙の漫画絵を見せていた。 先生から叱責があった。「その手渡したものを持ってきなさい!」この暴力教師が手を出すのはこの日に限ったことではなかったのだが、この日のことは今も鮮明に記憶している。悪いのは私語をしていた自分だと思っていたから、親に言いつけるとかした記憶もない(しても「お前が悪かったのだろ」で終わり?)。 なんともいえぬ理不尽を説明できないまま十年以上引きずった。僕が音楽を好きになれなかった原因はこの教師にあると思っている。この件は、どう考えてもこの問題教師が悪いし、本来ならクビにしていい事案だと納得したのは自分が教職の道を志したころである。 僕が普段思ってもいないことを、ことごとく「つけあがっている」「不真面目だ」「馬鹿にしている」「周りを見下している」と、ありとあらゆる僕の言動容姿に至るまで教師の思い込みで決めつけて、僕の人格を否定して罵倒した。その罵倒の言葉一音節ごとにびんたが往復した。「お前は(バチン)ふだんから(ばちん)自分は(ばちん)出来ると思って(ばちん)人の話は聞かず(ばちん)~」 延々と、よくもまあ子供をののしる言葉が続くものだが、授業は始まったばかりだった。終業のチャイムが鳴るまでびんたは続いた。30分以上殴られ続けた。頬はパンパンに膨れその日はほとんど口もきけないくらいだった。鼓膜が破れるとか血が出るとかあれば、このおんぼろ教師を止められたのだろうが(たぶん)殴り慣れていたのかもしれない。~そういえば「歯を食いしばれ、目をつぶれ、目ん玉が飛び出しても知らんぞ」が暴力説教の冒頭にくる言葉だった。~ 「お前のせいで(ばちん)今日は(バチン)授業が出来なかった(ばちん)皆に(ばちん)迷惑が掛かっている(ばちん)」 僕が教職課程を学んだ時「体罰は禁止」と(学校教育法だったか教育基本法だったか)教わった法律は出来たばかりなのかと思ったら、その法律は昭和21年には成立していて、ずっと変わっていないのであった。 昔は体罰は許されていて、びんたげんこつは当たり前だった。という輩が多いが、その昔とは戦前ならまだしも、昭和30年代にはとっくに禁じられていた。 暴力反対!
by mmatusaka
| 2017-12-01 02:24
| 社会時評
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