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2012年 05月 25日
![]() 島鉄南線が廃止されたあと、何も手が打たれないまま、放置状態が4年続く。行政は相も変わらず一企業の問題(土地の所有者は島鉄)なのだからと傍観者。島鉄は公共交通機関だから行政の支援を!と、自分たちが何をできるかは考えることなく支援頼み。しかも跡地は島原市と南島原市にまたがるのに、両市と島原鉄道株式会社が一堂に会して話し合った形跡もない。どこからも「集まって話し合いましょう」の提案もないままだ。このままではいけないと、為政者なら分かるはず、公共交通の社長(幹部)ならわかるはず。なのに誰も腰を上げようとしなかった。 見るに見かねた田代先生が、三市と島鉄に呼びかけて、このような会議が実現したという経緯らしい。第1回会合は4月24日に開催されたという。三市長と島鉄担当幹部など8名ほどの会議だったという。 その流れで、これは民間の知恵も入れるべきと、本日2回目の会議には、三市幹部(市長副市長担当部長級)に加えて、島鉄も社長を筆頭に幹部(5~6名)、そして民間有識者を交えての会議になった。 会議所会頭(副会頭が代理)、鐘ケ江元市長、森本元会頭(もしくは生き残りの会代表)、島原新聞社社長、島原温泉観光協会長、そして真の意味での民間意見代表として、清水議員と僕が参加した。 田代先生の想いで声がかりのあったメンバーであろう。『真の意味で』はもちろん僕の解釈である。災害復興同士としての鐘ケ江氏・森本氏は別格として、僕と清水さんだけが充て職ではなく呼ばれたのである。議員という肩書きはあるが・・・。 本日同席は叶わなかったが、泉川先生もまた声掛かりがあっていた。島鉄南線存続運動のリーダーだった泉川先生である。泉川先生は医師会長充て職で存続運動の神輿に乗ったのではない。まさに能動的に南線存続に命を懸けられたのである。清水さんと僕もまたその同士である。それゆえ、(充て職でなく)『真の意味で』と説明したのである。 克明なメモも取ったので、この問題は追って詳しく分析するつもりである。田代先生は誹謗中傷や、責任のなすり合いではなく、建設的に具体的に、ともに協力し合って頑張ろうという姿勢で臨まれている。僕もその想いに賛同するものとして、参加したのだが、どうしても、冒頭述べたように肝心の島原鉄道・行政の不作為無気力無責任を感じてしまう。 僕も一言、泉川先生の想いも代弁しながら意見を述べた次第。部長級も同席していたので、少し専門的に踏み込んで、これまでの経過も整理させていただいた。 それにしても、田代先生のこの情熱の源泉は何なのだろう!たしかに先生は都会で成功もなさって、半島三市に多額の浄財も寄付なさってお金持ちの評価もある。金持ちの道楽のように言う輩も聞く。では君がお金持ちだったとして、このような行動ができるか!・・・本当に頭が下がる。あの穏やかな物言いの向こうに鬼気迫るものを感じるのは僕だけだろうか。 南線跡地の問題だけなら、雲仙市は不要かもしれない。現在の鉄道存続だけなら、今度は南島原市は不要である。現に公の会議ではそんな構造である。(三市が一堂に会することはない。)それを田代先生が個人としてホテルのひと部屋を借り、一人一人に声をかけ調整してこの会議を設定してくれたのである。 「島原半島は一つ」まさにあの合併問題の時のまま、田代先生は志を高く持ち続けておられる。しかも行動が伴っている。僕の議員活動の(議員に立候補した)原点でもある。もちろん大義は半島の人々の幸福である。しかし、ここはイキに感じて、田代先生のために少しだけでも役に立ちたいという思いで行動しても、到着点は同じである。がんばろー。 ![]() 2009年 11月 06日
![]() ![]() 『地域公共交通の活性化及び再生に関する法律』は、島鉄南線存続にこそ使われるべきだった。今回の市内循環バスは、この法律に基づいての事業であるが、今までの姿勢では(一時的な国の予算が使えるというだけで)却って麻薬患者のようになってしまう。 赤字を補填してもらえる間だけでもいいじゃないか、補助金期間が過ぎたらどうせ元通りだけどね、という白けムードが、肝心の島原鉄道株式会社に漂っているように感じる。しかし、事業そのものはけして無理のある計画ではない。ここはせっかくの事業だから、本気で補助金が無くなっても継続運行できるように改良を加えて、頑張りたい。告知が足りない。愛想が足りない。注文は山のようにある。 何が何でも成功させたいという想いが行政当局から感じられない。南線を残せなかった罪滅ぼしに何もしないわけにはいかないという程度だ。本気なら運行の始まる11月1日に合わせて、予告告知があってしかるべきだろう。 何が何でも定着させたいという情熱が島鉄スタッフから伝わってこない。運転士の愛想の無さはおよそ客商売の大原則を忘れている。(個人差はある) 自発的な事業ではないからだ。しょうがないからやっている、はじめに補助金ありきでやっているからだ。 しかしきっかけはどうでもいいじゃないか。せっかくだからうまく回そうではないか。市民も喜ぶ、役所スタッフも感謝される、島鉄も儲かる、地元商店街にお客さんが回遊する。 早速『実証乗車』もやってみた。皆も先ず乗ってみていただきたい。100円かかるけど・・・けちをつけるのもいいけど、建設的な意見として、育ててみてもいいのではないか。 2008年 07月 29日
行政に『公共性』回復をめざす住民運動・・・これが「島原鉄道南線存続運動」に与えられた一つの評価である。
行政に対し『目先のことばかり追求するのではなく、広く市民全体で議論できる場を創り、市民の地域づくりへの積極的な参加を後押しし、地域の生活の向上に貢献・協力すべき』と訴えた。と。 研究者T君が(東京から)5たび島原を訪れた。島鉄南線存続運動の検証である。僕にとっても怒涛の1年であった。これをまとめて、報告書(青草子6号)も出さなきゃと焦りつつナカナカまとまらないでいた。諫干の裁判が重なったのもあって、こちらも引き続き運動は続くが、一区切り。そんな時T君が、論文の草稿を見せてくれた。大いに参考になる。 島原半島を未来につなぐ会の皆とも、久しぶりにじっくり話し込んで、色々見えてきた。 未来につなぐ会の『目指すところ』は結局、行政当局には理解されなかった。そのギャップを埋めることが今回の運動の大きな課題だった。 「鉄は熱いうちに打て」ならぬ、『鉄は高いうちに売れ』。情け無い。 2008年 06月 07日
![]() 島原半島を未来につなぐ会の同志から、すばらしいお土産をもらった。はじめ、見せてもらうだけだと思っていたら触らせてくれた。僕がよほど「欲しい」オーラを発していたのか、「やる!」と。本当は『彼の方が手放したくない』ことは容易に察することが出来た。しかし理性が働かなかった。貴志川線貴志駅長たまのストラップである。バッグの反対側ファスナーにつけた。ここに一番大事な書類を入れておこう。 今回議会で島鉄南線廃線後についても検証する。 2008年 05月 15日
![]() 今日は相談事で長崎まで。島鉄北線を利用。愛野駅を通過するとき、引込み線?側に鉄ちゃん垂涎の的、キハ20型列車が立ち入り禁止の縄張りで並んでいた。雨ざらしは心が痛む。このまま錆び朽ち果てるのを待つのだろうか。既に現役引退の能力しかないとは聞いていたが、t通常の輸送機械ではなく、低速で(遊園地的に)走らせる方法はあったろうにとか・・・色々思う。写真の赤い方が人気かもしれないが、黄色いほうは、トロッコ列車牽引車のキハ2011、トロッコ列車はどこかに払い下げられたと聞いていただけに、機関車の方は残っていたのか・・・感慨深いものがある。 考えてみれば、僕は結構島鉄利用派だったが・・・南目に行くことはほとんどなかった。まあ、住まいが島原でどちらかといえば用事は北が多い。 明日は、議員定数問題についてとか、今後の森岳商店街問題とか、がんばスタンプ会の総会とか、結構多忙。実は議運も入っている。 2008年 05月 11日
![]() 島鉄南線を残せなかった。100周年を祝う気にナカナカなれない。やるだけやって、納得ずくなら、次は北セン存続のために乗車運動を!と移行出来たろうか? 未だに、僕らが主張してきたように、存続の可能性があっただけに、国が準備した法整備、署名に代表される住民のもりあがり、邪馬台国ブーム、そこに100周年。この百周年は存続運動に利用してこそ大いに盛り上がったはずだ。 乗って残そうの乗車運動も、島原外港駅以南が廃線となり一気に盛り下がってしまった。新聞見開きの島鉄100周年広告があった。広告欄に島原市と雲仙市が並び、南島原市だけが載ってない。祝える立場にないのは分かるが・・・バスは走っているのだから、格好だけでも3市歩調は合わせられなかったのか?鏡開きの写真に松島市長の姿はなかった。 一方で南島原市松島市長は、先般の僕らの請願が否決されるようにと、議員に電話をかけていたことが明らかになっている。何と、「残したいのは山々だった。」はずの南島原市(長)自ら廃止にして欲しいと運動をしていたわけだ。これは重大事件だ。 写真は清酒「一鶴」(または時代の酒かな?)の100周年バージョンだ。有家の浦川酒造製だ。島原でも人気の辛口の酒だ。浦川酒造さんは「島原半島を未来につなぐ会」で勉強会の会場になったありえの醸造元だ。もちろん南線存続を願って最も頑張った人の一人である。ここで勉強会をしたとき、南線存続が実現したら、ここで祝杯をあげるはずだった。 200名から団体個人が出席しての式典だたそうだが、南島原市長に招待状は出ていたのだろうか?「島原半島を未来につなぐ会」には案内はなかったそうである。南線を残さなかったことについて、後ろめたさがないのであれば、案内ぐらいあっても良かったのではないか?と思う。 いずれにしても「なかった」事は解釈が難しい。しかし招待があった個人団体は間違いなく島鉄発展にヨロシクの対象だったわけだ。 島原半島を未来につなぐ会から式典会場に届けられた「この酒」には南線を残せなかった無念さを超越して、それでも、半島の発展を島鉄に託す大らかな応援意志がこもっている。島鉄の皆さんには頑張って欲しいものだ 2008年 04月 13日
![]() 南島原市深江町泉川病院の玄関には「島鉄存続署名」の呼びかけ文が掲示されていた。4月になるとその場所に写真の文書が掲げられている。 ※島原鉄道南線存続運動に、たくさんの署名を頂きありがとうございました。皆様方のご支援を頂きましたが、三月三十一日をもって廃止されることになりました。私たちの努力が足りず、申し訳ございませんでした。 病院長 泉川欣一 「島原半島を未来につなぐ会」の代表世話人として、このたびの島鉄南線存続の中心になって頑張ってこられた泉川先生。南高医師会長という肩書きももっていらっしゃるが、その肩書きは新聞等が解説として補足しただけであって、先生はあくまで一市民として(自分の責任もてる範囲で)一病院長(医師)として、行動なさっていた。 先生の熱意と強い意志と人を思いやる心に触れ、多くの人たちが動いた。僕もその一人として末席(ばっせき)を汚させていただいた。同じく「つなぐ会」にのめりこんで、応援団を形成した同志A君。いつも無口で、よくしゃべる僕とは別のタイプかもしれないが、思いは同じである。 二人並んでこの張り紙を黙読した。思わずA君の口から音声が漏れた。「あんなに努力なさったのに・・・」しばし呆然と立ち尽くした。 医師会はじめ多くの公職だけでも劇務だ。多忙を極めておいでだった。深夜2時3時まで「活性化再生法」の勉強をなさり、分刻みで電話をかけ、しかも驕ることなく、僕ら年少者に対しても敬意を持って対応なさっていた。短い時間のやり取りで、A君も僕も、先生の労苦を思い、体調や心労を心配していた。いつも頭の下がる思いだった。 (名指しでこんなに賞賛すると、そんなこと無いよ、困ってお願いするおじいちゃんおばあちゃんを思えば、苦労じゃないよと、照れ笑いなさるだろう事も十分想像できる。) その先生が「努力が足りなかった」とおっしゃる。「努力」の言葉の意味をかみしめる。 2008年 03月 27日
島鉄よ君はいったい何を信じてこれからやっていこうと思っているのか?
自分の力か?自力での再建が出来ないから、行政に打診したのではないか? 永続的な財政支援は出来ないものか?と。 行政は冷たくも見放した。「公的支援は困難!」としてはねつけた。 公的支援の内訳は明らかにされなかった。 いくらまでなら出せるとか、 免税するとか、施設の管理は任せよとか、 トイレの掃除は自治体の負担でやるとか、 一切の具体的な相談説明はなく、 「公的支援は困難」とは「1円たりとも支援しない!」という風に響いた。 市長は市民にも議会にも相談することなく、「支援しない」と決定した。 口先だけの行政を信じないのは、これまでの歴史があるから、分からぬでもない。 いくら国が方針を変えたといっても、市長の頭までは変わらないと思い込むのも無理はない。 君たちの行政不信は分かった。 市民が動いた。 署名を集めたり、請願を出したり、乗車運動をしたり・・・ でもその市民に相談をすることはなかった。 市民(島原半島を未来につなぐ会)からの提案を現場レベルは聴いてくれた。 「駅や線路のの掃除をしたい!」といえばありがとうといって応じてはくれた。 「おどみゃ島鉄応援団」でお金を集めて「乗車券」を発行しようという企画 の持ち込みも一応対応してくれた。 言葉ではありがたいと言ったけれど、「迷惑だなあ」と思われているのか反応は悪かった。 いつも市民の側からの相談だけで一方通行だった。 多くの署名に対して、「気持ちはありがたいが・・・」というその前置きの言葉に「迷惑なんだよ」という意味が見て取れた。 じゃあ自力でやっていけるのか? 天下りの役員と銀行派遣の役員は商売の意味が分かっていないらしい。 国や県に補助金を頼む事が経営だと思っているのか。 お客が減ったから料金上げるべ、でいいと思っているのか。 君たちを支えているのは乗客ではないのか! マイカーの市民に恨み言を言う前に何故マイカーよりもすばらしい汽車の旅を演出しないのか。 切符を購入して初めて客扱いかよ! 切符を買った客にだけ頭を下げるのか。 切符を買ってくださいと頭を下げたことがあるのか? 呼び込みという技は知っているか?はあ。 乗客の定義を教えよう。乗車予備軍や、年に数回しか利用しないけど利用するかもしれない市民は乗客ですよ。君らの頭では定期の客以外は乗客ではないのではないか??? 今回署名を寄せて、南線存続の可能性がある限り、(列車は止まったままでいいから)休止にしてくれとお願いしている市民の声を聴く耳は持たないのか。納得のいくまで話し合いに応じて欲しいというささやかな願いを聞く気はないのか。お金はかからないじゃないか。この人たちに門前払いを食わせたら、もう君たちを支えるサポーターはいなくなるよ。何を考えているんだ。 今はまだバス路線に赤字補填の仕組みがある。 客は乗せなくて、空気を運んでも赤字補填があるから、 10秒待てば乗せられるおばあちゃんを置き去りにして、 定時運行と言い逃れたあの△△役員はまだいるのか? 2008年 03月 18日
![]() ![]() ![]() 本家「島原半島を未来につなぐ会」のhpでは、総務委員を七人の侍として扱ってくれている。改めて、責任の重さを痛感する。 2008年 03月 14日
3/11総務委員会の結論は「継続審議」だった。まさか継続のまま実質的な否決を狙うのではなかろうと、請願の性質は3月中の廃止撤回が盛り込まれているから、3月議会中の結論を確認して継続に応じた。
継続をせずに採決した場合、どうだったろうか?結局、「休止」の鍵を握る島鉄の意向を確認したいと言う理由で、棚上げとなり、3/18に参考人として島鉄を招くことになった。態度は保留された。 島鉄が、「現状では存続は困難だが、新法を活用し、官民一体で支えてもらえれば存続の可能性はある。廃止を撤回して免許は保持してしばらく休止状態で協議会に応じることは可能である。休止にかかる固定資産税等を免除願えるならば・・・」とでも答えれば、もはや議会は請願採択しか道は無い。 今ごろ、廃止したい勢力は、島鉄上層部に働きかけ、『休止も無理だと言い張れ!運動』をしていることだろう。「でも、休止なら出来ますよ、固定資産税免除してもらえば・・・」「存続は難しいとか、新法は当てにならないとか、とにかくごまかせ!君たちはよそ者だから悪役になれ、ババを引け。」というわけだ。島鉄上層部はよそ者なのだ。 無駄な公共事業の典型諫早湾干拓。干拓室長は完全な悪役をやらされている。とても地元の者では耐えられない。東京からのよそ者だから出来る悪行だからだ。東京に戻ったら天下り先が選り取りミドリで用意されている。 < 前のページ次のページ >
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