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2012年 01月 17日
![]() 『三国志』(僕がお勧めするのはもちろん吉川英治版)に登場する軍師たちである。劉備玄徳・張飛・関羽の桃園の誓いに始まる、中国の歴史絵巻である。赤壁の戦いなどまさに圧巻である。 大筋は歴史に準じているとはいえ、あまりにも絵に描いたような展開に、こんな歴史があるものかと眉に唾しながらも、わくわくしながら読んだのは、僕の場合20代の頃だった。武将たちの性格や考え方をたくみに操作し、幻惑したり、あるいは正攻法で理を説いたり、利をぶら下げたり、脅したりすかしたりで、歴史が動いているのを見て、現実の政治はこんな幼稚な筋書き通りには行くまいと思っていた。 ところがどうか、現実の政治は、三国志の中で、暗愚な指導者によって泡沫の如く消えて行った国州で諫言を呈しては斬首され、むなしく散った文官武官や建前ばかりの屁理屈で正当化を重ねて一時の安寧を図る官僚どもにもはるかに及ばない了見の狭い志も信念もない愚かな政治家と、金儲け以外に思考回路を持たない商人や学者ばかり。 僕が20代の頃思っていた現実の(当時現在の)政治はもっとレベルの高いものだと思っていた。ところがその後30年過ごしてみて、特にここ10年その真っ只中にいて、三国志と一緒どころか、はるかに及ばない。一国を預かるリーダーが、嫉妬やおだてで政策を決定するなど小説の世界だけだろうと思っていた。 現実はどうか、それ以下である。現実に日本の針路も島原市の方向も、目先のしかも為政者側の都合で論理性もなく面子やねたみや賄賂と不正隠しで、仕事をしない役人が仕事をする振りをして、要らぬ仕事をつくり、いらぬ手続きで勿体をつけ、領民から年貢を貪り食っている始末。 改めて、吉川英治版を再読している。誰でもが劉備玄徳には成れないし、ましてや諸葛孔明はまさに千年に一人輩出するかどうかの逸材であろう。玄徳や孔明を名乗るなどおこがましいにもほどがある。それでも人の心は自由である。大志を抱き、その志を玄徳になぞらえ孔明と同じ夢を見ることは自由である。 頭から卑屈になって、謙遜や謙譲ではなく、自分を卑しめてしまい、どうせ自分は烏合の衆の中の小役人、人を押しのけ、屁理屈がばれないようにするのが関の山、風見鶏よろしく、時流を見極め長いものに巻かれるテクニックを身につけることに汲々となって、何の人生だろうか。「こころざし」は無いのか!人の知力はそんな小細工のためにあるのではなかったはずだ。ならば何も考えず、犬畜生よろしく(お犬様ごめんなさい)生殖本能だけで生きるがいいさ。屁理屈は無用だよ、言い訳するな。素直に欲望のままに生き、そのまま意思表示せよ。 しかし人は人にしのびざるの心(仁の心)あり。がんばろー。今回も後半は支離滅裂でした。ありがとー。 ※追伸:知ったかぶりするわけではないが、このいかにも難しい漢字を羅列することで、一昔前の人たちはこの文字群を、いちいち書物をひもとき、手書きで(さらに昔はそれを毛筆で)書き残し、書き伝えていたのを今はキーボードでたたき出し、ネット検索で調べ起こし、コピーアンドペーストで伝えることができるようになった、ここまで手軽になりながら、現今はかえって、僕らの語彙は小さくなってしまっていないか?とそんな意味も込めて、「こんな文字はめったにお目にかからなくなりましたよね」と訴えるつもりもあった。 期せずして偶然、本日付長崎新聞のコラムで辰年にちなんだ四字熟語として紹介されていて、珍しくもないありふれた文字なのだと認識を改めた次第。 2011年 10月 27日
![]() 学生時代、どくとるマンボウにはまっていた時期がある。そんなある日、山手線で『マンボウ追想記』を読んでいると、なんと目の前に北杜夫さんが座っているではないか!ファンであることを告白し、サインをお願いしたのであった。お隣に座っていらっしゃった奥様らしききれいな女性が、「してあげなさいな。」と、促してくれて、このサインが貰えたのであった。電車の中だから汚くなったけど、ほんとはもう少しキレイなんだよ、など照れておいでだった。以来僕の宝物だ。 マンボウシリーズは、『昆虫記』がその最初だったか、子供時代昆虫採集にはまっていたので、おおいに親近感を持ったのだった。『航海記』も傑作だが、やはり一番紹介したいのは『青春記』だ。 実は北杜夫さんは、うちの父親と同じ歳であり、当時僕のゼミの教授、檜谷昭彦(ひのたにてるひこ)先生も同じ歳だった。青春記を通じて、親や教授の育った時代背景を共有し、時代を超えて共通する学生気質に触れたのだった。 親たちの世代は昭和一桁生まれが多く、昭和の時代が長かったので、昭和何年と年齢を重ねる人が多かった。うちの親は昭和2年生まれだから、「昭和29年に昌應が生まれた時、自分は27歳だった。」と『2を引けば分かる。』という訳だ。 (僕の研究対象だった夏目漱石は慶應3年生まれ、慶應4年が明治元年だから、明治の年数がそのまま年齢だったので分かりやすかった。) 文庫本の奥付を見ると、昭和54年だ。新刊書を入手できるほどの余裕は無かったので、この本が単行本から数年後、文庫化されるやすぐに購入したものと思われる、渋谷駅前大盛堂のレシートがはさんであって、12-MAY-79,240円也だ。そのレシートに『5/13、山の手線でサイン』とメモしてある。 いま逆算すると、北杜夫さんはまだ52歳だったのである。ちなみに僕はすでに25歳で、ずいぶん年老いた学生である。そして、そのまんぼう先生が84歳で亡くなり、僕は今57歳である。 2011年 10月 02日
2011年 03月 23日
僕の店「家」がある大手広場は、かつて『初市』が立っていた頃は本当に往来の激しい繁華街だった。今もさびしい所ではない。一頃よりはむしろ交通量も多いかもしれない。しかしその多くは『車』に取って代わられた。それでも昔の名残か、うちの前を歩いてくれる人は結構な数あるようだ。
それでうっかり僕と目が合おうものなら、店先に引きずり込まれて?(入り込まれて?)色んな話に花が咲くわけである。 ![]() 市内の出来事相談で役に立つのは住宅地図。今回思い切って最新版を購入した。小浜に行った時の話から、大森先生の分権改革論、合わせて『赤毛のアン』 週刊誌談議。何故週刊誌は女の裸を載せるのか?女性に見るなといっているようだ・・・週刊朝日は裸は載っていないぞ。そういえば週刊現代は遠慮してセミヌードというか、おっぱいの先っぽまでは見せていないぞ、それなら見せられないことはないね・・・などなど。 やはり今いちばんの話題は、原発問題だ。広瀬隆著『原子炉時限爆弾』恐るべき本である。広瀬氏が例に挙げたのは浜岡原発である。静岡県の、まさに4枚の折り重なるプレートの接点にわざわざ乗せるように建てられた浜岡原発を。そして考えてみれば今回の福島原発も沈みゆく太平洋プレートに引っ張り込まれる北米プレートのもっとも危険な場所に立っていたわけである。起こるべくして起こった災害である。広瀬氏が起こらない事を願いながら、その一方でこのままではどうしても起こってしまう・・・と警鐘を鳴らしたのである(2010.8)。この本に書かれていることが、そのまま現実の話になって進行しているのだからショッキングである。 そんなこんなで千客万来し、話の残骸が種本として積み重なっていく。本日3月定例議会が終了して、各議員「再会」を誓って、議場を後にした。さて少しペースを挙げて議会の報告書をまとめなければ・・・ 2011年 03月 20日
![]() まさに20年ぶりに訪問したのであるが、『赤毛のアン』のアン・シャーリーをテーマにしたこだわりのお店だとは認識していなかった。グリンゲイブルスのアンを巧みに演出した感じのいい店だった。原書や絵本などもあって、よく見るとカナダの国旗まで飾ってあるのであった。 子供向けの要約版絵本を手に取ると英語だったのだが・・・村岡花子訳でストーリーを覚えているから、すんなり情景が浮かんできた。駅に着いた赤毛でそばかすの女の子アンが想像力たくましくして、自分を迎えてくれる養父母に想いを致して待っている場面である。養父は「男の子」をもらう予定だったのにそこに待っていたのは女の子だったのである。養父の落胆と思いやりの交錯する場面・・・ 帰宅して、本棚から『赤毛のアン』(新潮文庫)を取り出した。僕の場合だいたい本は購入日と、読了日を書き込む習慣にしているのだが、記録がない。しかし僕がこの小説に入り込んだのは早くても大学生時代で、世間の人たちが、小中学生のしかも女の子に限って読むと思い込んでいるモノではない。もちろん感受性豊かな少女時代に読むに越したことはない。少年も読むべきだ。ギルバートのような男子もいることを知れば、ずいぶん世の中が広がるものだ。 これもまた古き良き時代ではある。生活習慣は違えど、洋の東西を問わず半世紀前の生活は人情味にあふれていた。 連日報道が続く津波震災報道は、懸命に生きる被災者や支援者の心温まるエピソードを交えるようになった。これだけ大きな災害なのに暴動が起こるでもなく、皆じっと耐え、「彼らの不幸に比べれば、自分は恵まれている。」と、わずかな支援物資(たった一杯のスープ)に涙を流して感謝する。 需要と供給の関係で価格が決まると社会科(経済学)では教わったが、電池も燃料も米も需要は10倍20倍になっても、値上がりしない、ナントも心優しい日本の商人たちである。 2011年 02月 04日
![]() これも一気に読み終えたのであるが、『ムネオ日記』を読んでいた僕には想定内のものだった。しかしこれもまた、今の時期により多くの人の目に触れることには大いに意義がある。 嬉しい発見は、この本の編集に当ったのは横田一氏であるということ、本の表紙にその名はないが、中を開くと、編集解説を横田氏が書いている。僕としては時々耳にした事のある名前で、それは週刊金曜日などで「諫干問題」を取り上げるジャーナリストという位置づけだった。特段の面識はないのであるが、実は先の諫早市役所前で(1/23鹿野農水大臣激励)取材を受け、名刺を交換したのであった。 宗男さんにこれだけ近い人だと知っていたら、もう少しお話をして置けばよかったと・・・あとの祭りであった。問題意識を共有しているという連帯感を感じている。 当然宗男さんの突然の最高裁判決~収監は、あまりにも異様であった。確か、菅vs小沢の総裁選直前であった。小沢擁護の最前線で論陣を張っていたのが宗男さんだったからだ。村木さんの逮捕も異常であった。これも小沢民主党による政権交代前夜であった。何が何でも民主党にマイナスポイントをつけなければと、無実の石井一代議士もいい迷惑だったろうが、その石井失脚の筋書きのために罪をかぶせられたのがこれまた村木課長だったからだ。 そして、多くのニュースに紛れて、検察審査会なる怪しげな組織によって「強制起訴」となった小沢さん。色んなニュースに紛れ込ませないで、この小沢起訴問題だけしか話題がなければ、「何じゃこれは?!」小沢さんは無実じゃないか!もしくは「疑わしきは罰せず、どころか、疑わしさの片鱗もないではないか!」となる内容である。その一連の流れの中にある。 あの「フロッピーをいじっていたら6月8日が6月1日になっちゃったんだよ」の前田検事が小沢起訴の事前工作(秘書逮捕など)に参加していたというあまりにも異様な状況証拠が出揃っている。 異常なのは、民主党の保身議員先生たちだ。今日も小沢さんは起訴されたのだから除名だ党籍剥奪だなどと騒いでいる。「検察が怪しいのだから、もう一度白紙に戻って捜査調査をやり直せ。小沢さんに失礼だろうが!」と強く出るのが普通じゃないのか?バカに付ける薬はない。バカと一言で片付ければその罪状が見えにくくなるが、要は限りなく危ういながらも、現在政権与党にある民主党。うまく行けば大臣政務官様々な要職が待っている。でも実力のない自分はゴマをすったり太鼓持ちしたり、年功序列を力説して身分を獲得するしかない。そんな先生方だ。税金泥棒だ。 「小沢のような本気で国民の生活が第一と考えているような、しかもそのためには官僚にも遠慮しない、実力優先の男が、民主党の主流になったらたまったもんじゃない。」と考えるその程度の先生方が同じく現在の利権構造にあぐらをかいている官僚やマスコミと連合軍を組んで小沢(小沢的なもの)の排除に躍起になっている。 そんなばかげたお祭り騒ぎの中に我々はいる。そこに大相撲八百長だ。あえて今の時期に発覚だ。 2011年 01月 31日
![]() ひょんなことから・・・一冊の本に出会うことになった。関わっている団体の会計(税務)の問題で、税理士さんとお会いすることになった。そこでの話の中で、「ドラッカーの『マネジメント』はご存知ですか?」と、問いかけられた。お恥ずかしいことであるが、全くの初耳であった。(聞いていたとしても記憶に残っていなかった。) もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら・・・という長いタイトルのついた小説である。既にベストセラーであり、昨年末紅白歌合戦でも話題になったのだとか。税理士さんはそこを共通の話題として、ドラッカーの言葉を引用して、大事なことを伝えようとなさったようだが、僕の無知で、そこまでであった。 ベストセラーなら図書館でと問い合わせたら、既に予約4人待ちとのこと、次回この税理士さんに会うときまでには「さわり」ぐらいはチェックしておかなきゃ・・・と思いつつ、ツタヤで購入した次第。 ドラッカーは経営とか企業とかの専門学者で、その道の権威なのだそうな。この小説は、野球部のマネージャーを引き受けた主人公の女子高校生みなみが、このドラッカーの『マネジメント』に出会い、まさにこの専門書『マネジメント』にそって野球部をマネージしていく話で、タイトルがそのままである。感動の青春小説である。おすすめです。 すでに200万部を越える大ベストセラーで、漫画化・アニメ化・映画化の話も出ているようで、今をときめくAKB48のアイドルが主役を張るという話になっていて、空前のベストセラーになるだろうと予測できる。僕が世情に疎いだけで、多くの読者は既にご存知の事実かもしれないが、知らなかった人たちは、そろそろ入門時期ですぞ。素直に感動できる小説で、ベストセラーになるべき運命だったように思います。 その上に、その原書ドラッカーの『マネジメント』の入門書でもあり、応用実践編でもある、この小説。話題性満載である。(ともに同じ出版社:ダイヤモンド社)。ほぼ一晩で読み終えて、早速その原書『マネジメント』も購入した次第。 みなみはマネージャーに求められる資質について『マネジメント』からそのまま引用する(P130)のだがその最後の所だけ僕も引用する。 マネージャーにできなければならないことは、、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。 最初の感動の場面である。人は自分で自分は真摯であるとは中々言えないものだ。しかし、ドラッカーの言う「真摯さ」は後天的に獲得できないものである。これから頑張ろうとする者にとって、自分に「真摯さ」が備わっているかどうかは問題ではない。自分の真摯さを信じて頑張るしかないからだ。才能なんか無くても「真摯さ」を以って全て後天的に獲得できるというこの言葉は「頑張る人間」の背中を押してくれる言葉だ。 本を紹介してくれた税理士先生の事務所を訪ねて「いい本を知ることができました、今これを読んでいます。」と2冊目を提示した。「『もしドラ』読んだ、そう、『真摯さ』が一番大事なんだ、テクニックや要領じゃない!」と熱血税理士さんは応じてくれた。 2010年 12月 01日
12月議会が始まるにあたって、議場に『夜と霧』を持ち込んだのは、まあおまじないのようなものだった。(本会議中に読書するためではない。)あまりに情けない決算の実態に迫るにあたって「冷静さ」を保つためだった。不用意発言にならないように原稿も準備していた。しかし既に原稿をしたためた時点で微妙にずれていたのだろう。「夜と霧」は知る人ぞ知る著名な本であるが、僕は40過ぎるまで知らなかったから知らない人のほうが圧倒的に多いのかもしれない。有名な「アンネの日記」とよく並べられるのであるが、ナチスドイツの例の収容所の話がモチーフである。解釈評価はそれぞれであり、読者の評価も様々だろう。 僕のように、「どんな逆境にあっても人間はその尊厳を保つことが出来るのだ」と一つの教訓にたどり着くのもよかろうが、今回それほど自らのおかれている立場が「逆境」じみたものとの認識もなく、むしろ多忙を極める中で自分らしさ・人間らしさをわすれないようにとか、たんにこの本を読み終わったときに感じたなんともいえない厳粛な静かな気持ちを思い出そう。という「冷静さのまじない」程度だったのだが。 なんとも学習能力のない男である。(自分に言っています。)簡単に言えば北風と太陽である。どんなに強い風を吹かせても旅人の外套は外せない。「君は間違っている」と言ってもかたくなになるばかりだ、せめて「間違っていませんか?」だ。議員になる前の長い人生の中でそれくらいの人間関係構築術は学んでこなかったのか? 落ち着いたら、分かりやすく報告しようと思うが、今日のところは覚書ということで、会派長に対して感謝の気持ちを記しておこうと思う。わが会派長はご存知清水宏議員である。まあ名前を出すことではなく、公にするほどのことでもないのだが、公人だからまあいいか・・・。 松坂は感情の人である、激しやすく、一たんこうと信じたら、後に引くことを知らない。取り付く島もない。そんな僕の、ともすると、投げやりになりそうな、破滅的な突進を心配してか・・・きょうは半日話を聞いていただいた。本当は僕が話を聞かなければいけないのだが・・・。たまたま会派長を受けてもらっているが、会派長だからというわけではない。 ご存知の方も多いと思うが島原市議会でいろんな意味で最も波長の近い議員である。基本的な価値観を共有させてもらっている。(性格や人当たりはまるで140度ほど違うが・・・)そして議場では隣同士である。僕の右側は通路と壁なので、ぼくは会派長にだけ接しているのである。 「夜と霧」を読んで何かをつかんだ人たちのそれぞれの思いはかなりばらばらだ。みな勝手に何かを思い込んでいるのかもしれない。でも「あなたもこの本を読んで感銘を受けたんですか?」は心を共有するのに十分なものがある。そのことを知ってか知らずか、例によって労をいとわないこの先輩は、本日僕を訪問するに当たって、旧版「夜と霧」を持参したわけである。キッカケ作りの道具と言われればそうかもしれない。しかし僕の「心の扉」を敲こうと、小道具を準備なさったわけである。ありがたいものだ。 北風の吹く寒い日にわざわざ自宅までこの本をとりに行って、この本を差し出されたのである。ありがたいものだ。 2010年 10月 24日
NHKテレビドラマ『龍馬伝』・・・まあ歴史ドラマだから、視聴者が「龍馬を殺さないで!」とリクエストしても生かすわけには行かないだろう。やっぱり龍馬は暗殺されるのだろう。旅の道中で、今回のドラマ脚本本を読了してしまったので、テレビがどのように終わるのかほぼ分かってしまった・・・ 写真は蒼井優演じるところの「お元」である。長崎丸山の芸者で、龍馬や弥太郎のなじみであったという。NHKでいえば、先週だったか「いろは丸事件」で龍馬たちは紀州藩を相手に、その船舶衝突事故の責任を認めさせ莫大な賠償金を勝ち取った。 お元らも、市中に紀州藩の責任を問う流行り歌を流行らせる事で、協力をしたのであった。龍馬は「おまえには金が入ったらお礼をせんといかん、金がはいったら・・・」と欲しいものを問う。お元は、「お金なんかいりまっせん・・・・・・・うちば抱いてくれなんせ・・・」と迫り、ドッキリする場面である。「芸妓ば抱くとに何のためらいのあると・・・」と、続くのである。こんな美しかおなごに、こんな事を言わせていいのだろうか?(弥太郎が「女にもてやがって・・・」と怒るはずである。) 日本中に蒼井優ファンが倍増する事だろう。(蒼井優は長崎弁が本当に自然で上手いので、長崎県の男たちはほとんどが彼女に魅了されてしまうだろう) 僕の記憶が正しければ、テレビではこんなきわどい事は言わなかったようだ、もう少しプラトニックだったと記憶している。(憶えている人教えて下さい。)NHKらしい教育的配慮があったかと思う。微妙に違うのである。原作脚本本が、監督(演出?)の手によって、微妙に修正されるのである。 読書にあまりご利益を求めたくはないが・・・本を読んで得した。皆様是非読書を! そのあと、3人の刺客に取り囲まれ、それどころではなくなるのだが・・・、ここは原作どおり「うちば抱いて・・・」と言わせて欲しかった。その時は彼女の口元をアップにして・・・。 そうなると、「龍馬伝」のヒロイン(副主人公)はおりょうではなく、お元になってしまうのである。実はこのあと、隠れキリシタンお元には大きな災難が降りかかってくる。脚本上は明らかにお元のほうに比重がある。 NHKとしては、やはり正妻を、愛人の上に置かなければ気が進まないのか?既存の慣習しきたりをことごとく打ち破り、常識を塗り替えた龍馬であるが、NHKにかかると、これまでの慣習に引きずられてしまう。 今回の視察でも改めて思った。これまでのやり方を抜け出せないのである。だから今、龍馬がもてはやされるわけである。そして、性急に真実を求めた人間は凶弾に倒れる運命なのか? 2010年 09月 29日
![]() 連日尖閣漁船衝突~対中問題の報道、北朝鮮3代目問題など、検察の暴走を冷静に見極めにくい世論がばらまかれている。今一番の問題は検察を裏から操る大きな力の存在である。最高検(その上位の何か)がその影響力の温存のためにありとあらゆる手段を行使している事を見逃してはならない。最高検による単純な大阪地検特捜事件のモミケシだけではない。これはその表層である。その表層さえ、国民の目を海外にそらす事で薄めようとしている。 この1週間は若干風邪気味で不調。閉じこもりがちな生活だった。とはいえ、山奥に住んでいるのではないので、色々事件は飛び込んでくる。受身に回ると、どうもいかん。ニュースばかりは、国家を揺るがす大事件ばかり、足が地に付かなくなる。 身近な議会の問題さえ、少しばかり、阿久根つながりの僕にとって、河村市長をメニューの中に入れてきた僕にとって、他人事ではない。直結している事件である。その事件が又、中途半端ではない。「政務調査費でご乱行」とか「あいつが嫌いだから反対」とかのレベルではない。(実際の地方議会がそのレベルでしかないにもかかわらず。) (中座) ![]() 実は、小沢さんの『日本改造計画』は持っていない。改めて、借りて読もうと手続きをしたら、島原図書館の分館、有明図書館にあることが分かり、取り寄せになった。代わりに『田中角栄・消された真実』を借りて読んだ。ロッキード事件で田中角栄氏を弁護した弁護士の本であった。『この国を動かす者へ』(佐藤優)も同じ流れではあるが、検察の暴走は当時からそのままだったことが分かる。 当時僕は、ロッキード事件など深く理解していなかった。ゆえにマスコミが言うように田中角栄は賄賂を貰った悪徳政治家だと思い込んでいた。しかし事実は違っていた。どこにも『収賄』などは出てこない、かなり無理筋の『外為法違反』などで拘束されていた事が分かる、しかも角栄氏は、裁判途中で他界したのであった。ひどいものである。この角栄裁判に全て出席傍聴をしたといわれる小沢さん。・・・ナルホド、検察の手の内は十分承知である。承知していながらやられるのだからひどいものだ。 金子勝さんは朝日ニュースターなどに時々出演なさるが、『地域切り捨て』を読んだ時は、その人と知らず(テレビでは分かりにくくてあまり評価していなかった・・・)、慶應にも立派な(まともな)学者がいるものだなあと思ったのでした。当時は慶應出身の小泉・竹中コンビの悪政に辟易していたので、ある意味その逆の主張だった記憶がある。今回同じ著者の『日本再生の国家戦略を急げ!』というのを見つけたので、これ(『地域切り捨て』も再度借りた次第。そういえば小沢さんも慶應である。 『人が人を裁くこと』というのは、簡単な裁判傍聴エッセイで、裁判用語がいくつか理解できた。『狭山裁判』の著者(岩波文庫)は野間宏だったのだが、この佐木隆三氏が『狭山裁判』の著者だと思い込んでいて、勘違いで借りたのだが、まあタメになった。 『日本改造計画』が届きましたよ~と連絡があって、その時、新刊コーナーにあった三冊も借りた。新刊コーナーはまだ誰も借りていなくて、きれいな本だから気持ちがいい。 『日本人へ』はパラパラっとみた。ローマの歴史に詳しい例の人塩野七生氏だ。(僕が念頭に置いていた本は、同じようなタイトルの『リーダー編』というのだったようだ、又の機会にしようと思う。) 『親鸞』は何も今更ではないのだが、亀井勝一郎ファンとして、ふーん亀井さんも「親鸞」に傾倒した時代があったのか・・・と手に取ったものの、やや学術的で、しかも単に古い本の再出版だったので斜め読みした程度。 意外に面白く一気に読めたのが『今だから言える日本政治のタブー』であった。良くも悪くもマスコミの寵児となった田原総一朗氏の「サンデープロジェクト」回想記である。僕は田原氏は結構たいしたジャーナリストだと思っている。そして、確かに田原氏が日本の政治を節目節目で動かしたのではないか、と感じるのであった。テレビの中では、偉そうだったり、決め付けがきつかったりで、むっとくることも多かったのだが、欠席裁判の言いたい放題ではなく、相手に必ず反論の機会を与えていたところが偉かったと思う。ここ20年ほどの現代政治史の確認にもなった。 ※肝心の『日本改造計画』の感想は又の機会に・・・これは、必読基礎資料でしょう。小沢さんの取材担当記者は、最低限この本を読んで理解してから、会いに行くべきであろう。竹原阿久根市長取材の場合なら『独裁者』、河村市長なら『この国は議員にいくら使うのか』。こうした基本を外して、取材をする記者たちの怠慢「忙しくて・・・」の言い訳。しゃきっとせんかいと言いたくもなる。 < 前のページ次のページ >
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