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2010年 04月 28日
そもそも、佐賀地裁の判決を受けて控訴した際、鳩山邦夫法務大臣は、開門を前提とした控訴だった。担当の若林農水大臣は全くの農水官僚言いなりロボットだった。
開門のためのアセスは、農水省の巧みな誘導で「開門にかかるアセス」に性格が(名前も)変わり、開門するかしないかのアセスとなり、九州農政局(農水省の九州出先)は、地元(すなはち長崎県知事)の同意なくしては開門なしとの条件まで盛り込んできた。長崎県知事の意見は金子知事も中村知事も無条件反対だ。 科学的に審議して欲しいなど、口先と裏腹に理屈も科学もなく、ただただ反対だ。案内役にあれこれ策を弄しても、現在のアセスは「開門するかしないか」のアセスにも程遠い「開門しないためのアセス」である事は、誰の目にも明らかだ。 白紙に戻す。とは「開門のためのアセス」ということだ。なぜなら、開門するかしないかを白紙で考えるのであって、開門と決まれば「開門のためのアセス」論議となるわけで、開門しないと決まれば、アセスは不要だ。 赤松大臣が白紙で考えるという意味は、検討委員会に白紙委任をして自分の判断を預けるという意味ではない。検討委員会の報告を参考にして考えるという事。検討委員会の報告を聞いてそこからスタートするという意味ではない。検討委員会に白紙で検討せよと投げたと同時に、赤松大臣自らも白紙で健闘を始めたのである。(そうでなければ、検討委員会に任せて、自分はあえて第3者を決め込むだろう。)検討委員会と並行して、自らも積極的に現地入りして、自分の目と耳で確認をしたわけである。 どこかで(おそらく2/11長崎訪問の際)金子知事のウソ、農水省の陰謀に疑問を感じたのだろう。そこからが白紙なのだ。27日朝の会見を読めば、すでに大臣の腹は大きく開門に傾斜している。この数ヶ月でかなりの情報、本当の情報も伝わっている事が、会見内容から分かる。 そして朝日の記者の取材によると、すでに郡司副大臣の腹も「開門」に固まっているようだった。 ところが、おそらく最後まで抵抗した西岡武夫氏がうんと言わず昼間の会合ではまとまらなかったのだろう。しかしこの時点で赤松大臣は検討委員会は開門が大勢であって、反対があっても両論併記を見て取り、自らの最終判断にかかっている段階だと覚悟を決めたようだ。 出来うれば、検討委員会で西岡さんを説得して欲しかった・・・これが本心かもしれない。赤松大臣これからが又大変だ。中村知事・宮本市長ほかメンツの塊みたいな政治家がうようよ控えている。中村知事が「是非科学的に・・・」と言うのであれば、僕もはせ参じて説明役は買ってでましょう。 速報(夜の検討会が終わったあとの、記者の感触)では、開門の方向で郡司副大臣一任を取り付けた模様。 赤松大臣自らも言っていたが、あえて4*14ギロチンの日を選んで諫早干拓視察に訪問したのは象徴的な意味がある。 さあ開門だ!
by mmatusaka
| 2010-04-28 01:19
| 諫干・環境
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