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2010年 12月 15日
総理大臣は大変だ。色んな問題があふれている。100人に全ていいような判断はない。右と言っても左と言っても、白と言っても黒と言っても必ず誰かが不満を残す。その最終責任は総理が負わなくてはならない。
だから総理は、判断を分散する。イサカンで言えば、検討委員会座長(郡司さん)や、当時の赤松大臣、次の山田正彦大臣。お次は鹿野大臣・・・そして実質的には法務大臣。実は各大臣を罷免できる総理大臣に責任が集中する。 前回佐賀地裁当時は農水大臣は還元水だのバンソウコウだのデタラメ大臣のオンパレードの中、さすがの農水省官僚どもは、環境派法務大臣(鳩山邦夫氏)をして、「開門するけど上告する。」という悪質な方法を実行させた。 今回も全く同じパターンだった。さすがに佐賀地裁判決以上に、今回の風当たりは強い。長崎県にいると、県議会も諫早市議会も、「開門反対上告せよ。」の声が大きく、錯覚を起こしそうだが・・・全く世論からも浮いている。もう佐賀地裁の後の愚を繰り返すわけには行くまい。 よりによって、現農水大臣には荷が重過ぎる所に、法務大臣は言葉を二つしか知らない東大卒エリート柳田大臣更迭を受けて、色々批判にさらされている仙石官房長官が兼務と来ている。少なくとも政府が決断を下すのであれば、実質の農水大臣か法的意味での法務大臣級を出さなければ、二回連続で負けている裁判に太刀打ちできない。ところが両大臣ポストとも大臣の権威としてはワースト2状態。 さすがの農水官僚どもももう手の打ちようが無かった。もちろん大臣たちも貧乏くじは引きたくない。 ここ数ヶ月の菅政権の迷走ぶりは、マスコミの悪意も手伝って、可哀想なくらいだ。分刻みのスケジュールの中で、菅さんはすっかり官僚のロボットに成りかけていた。追い詰められた菅さんはついに地が出てしまった。出てきた『地』が、さすが市民運動家出身の菅さん、全ての思考回路を官僚どもに切り刻まれても、長年の経験から、『イサカン上告せず』がごく自然に(考えなくても、条件反射的に)出てきたのであった。 エイズ問題・肝炎問題・・・あの菅さんが甦った瞬間だ。イサカンを止めた菅直人は歴史に名を刻む宰相になった。十分な働きである。 通常の国政運営では、イサカンは(先ほどの説明どおり)農水大臣か法務大臣だ。運命のめぐりあわせで、農水官僚の思惑を押し通すには両ポストは余りにも権威を落としていた。各省庁の官僚はたった一人の大臣なんてちょろいちょろい。かんたんに操ることが出来る。しかし、今回の場合操っても権威のない大臣だ。 結局総理大臣のトップダウン判断になった。総理大臣というのはよほどの哲学(ポリシー)が無ければ、忙殺されて判断力を奪われている状態だ。判断力を奪われた菅総理にとって、イサカン問題はまさに菅直人の哲学だった。(小泉純一郎総理の郵政民営化のようなもの) 明日から、各マスコミに色々評価されることだろう。ここは松坂としては、色んなめぐり合わせの中で、いいタイミングで菅さんが総理大臣で本当に良かったと思っている。しかも(これはマスコミに負うところが大きいが)最悪の支持率という環境でなければ出来なかった判断だと思う。結果オーライの偶然と、菅さんでなければ『上告しない』の判断は出来ないであろうという必然。 一言菅さんを弁護しておきたい。各報道はニュース速報で『菅総理、上告断念』と報じた。 菅さんは「上告をしない」という決断をしたまでで、「断念した」のではない。断念したのは農水大臣か?否!断念したのは「農水官僚たち」である。 正確には、菅さんが上告しないと決定したので、農水官僚たちは「上告を断念させられた。」のである。つまり結局マスコミの情報源は(農水)官僚だったということの証左である。 ※実はこの頃松坂としては、政治家が判断を下すということの意味が分かりかけている。最初から判断をしない前提の政治家はここでは対象ではない。自分で判断をする政治家の判断とは何か。という意味である。
by mmatusaka
| 2010-12-15 22:50
| 諫干・環境
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