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2011年 02月 06日
早い時期から、この報告会は予定されており、僕にも大久保事務所・福田事務所から葉書やら封書やら電話やらで波状案内があっていた。僕が市議であることも複数回の案内の要因だろうが、現実に両候補の応援にはかなりのエネルギーを費やした。
今考えれば、大久保さんが当選したのは例の大物小嶺監督との一騎打ちであった。久間さんの原爆しょうがない発言でかろうじて辛勝したあの選挙だ。僕は本来自分の選挙用に整理しておかなければならない名簿を、あわてて整理して、100枚ほど紹介カードを書いた。 政権交代を実現した福田さんの選挙(のまえの政治活動)もかなりはまった。麻生さんの選挙のための内閣は自民党の総理大臣たらいまわしで延び延びになり、自民党の自殺(オウンゴール)の如き選挙だった。それでも選挙に強い地方の自民党、大物議員たちはまさにゾンビのように比例区で復活した。普通なら、比例復活組は、日なたを歩いてはいけない(←偏見:笑)のだけど、与謝野さんが大臣に座るなど「どーまた」とあきれかえる。 その中でも、福田さんは久間さんのゾンビ復活を許さぬ完全勝利をおさめ、政権交代の象徴となった。僕の運動がどれくらい効果があったかは不明だが、ありとあらゆる方法を使い自分なりに応援したわけだ。 だからと言って、恩を売ったり、お返しを求めるつもりはない、勝手連でやったまでだ。彼らも「いい迷惑」だったかもしれない。僕自身が、当時から異端児扱いを受けており、公式の席では、関わり合いがないような距離を(スタッフに)置かれていた。僕が例えばイサカンなど立場をはっきりさせているために、アイマイ作戦の場合、都合が悪いからだ。 今回は、特にこのイサカン問題で、ほとんど立場が逆になり、僕自身この二人とは、距離を置きたい気分なのだ。同じアナのムジナと思われたくないという訳だ。 福田さんは一端は頭に巻いた「開門反対」のハチマキを反省し?並居る議員たちが全員「開門反対ハチマキ」を閉める中、「自分は農漁共存、両者の意見を聞く立場」と、ハチマキをしなかったと、とある雑誌のコラム欄に報じられていた。 大久保さんも、頑強な民主長崎県連にあって、一時は検討委員会で西岡さんと一線を画し「農業に影響がない開門」と言ったり、今回の判決確定を受けて、「開門が確定したからには(法なのだから)次の段階に進むべし。」と良識的発言をしている。 でも、ちょこっと物足りない。小沢さんの問題も然り。(マスコミ世論に評判の悪い小沢さんと距離を置いて無関係を装っている感じ) 森ゆうこさんほどではなくても、せめて鳩山さん程度に毅然として「今回の強制起訴は、通常の起訴とは別のもの、離党しろとか訳の分からんことは言わず、むしろ無実を勝ち取ることを信じて支える。」ぐらい言ってもいいのではないか。 昨日の報告会(遅刻したので)この件にどのようなコメントをしたか未確認だが、踏み込んだ発言はなかったものと思っている。(違っていたらまた報告します。) (事前通知はしていたものの)別の勉強会のあと、会場に急行したが、大幅に遅刻。福田さんの報告の後半だった。(大久保さんの報告は既に終わっていた。)壇上には向かって左に、楠大典県議・福田さん・大久保さんが並び、春の県議選を控えて、この3人が主役との演出か?右手に雲仙市・島原市の副市長が来賓として登壇していた。その後ろに2~3人いたが、連合など組合関係者か、両氏の後援会長級か?来賓に一つ空席があって、「南島原市市長」とあった。見回すと僕のすぐ横(前のほうの観客席)に藤原市長がいらっしゃった。 福田さんのあと、急きょ遅れてきた来賓紹介ということで、島原市議松坂とて、僕が、続いて藤原市長が紹介された。市長は登壇し演説までして、指定席に着座なさった。 おそらく冒頭、会場前方の市議クラス来賓の紹介と壇上の市長(代理)クラスの挨拶があったのだろう。出欠案内の際は、紹介はいりませんと言っていたのだが、他の市議とのバランスをとったものと思われる。ただし、雲仙市・南島原市の市議さんは数名いたが島原市議は一人もいなかった。だから地元島原で市議が一人もいないのではあまりにバランスを欠く。座席を見ると、山下議員・松本議員と並んで僕の席も用意して名札が貼ってあった。(お二人は不在だった。)楠県議も肩身が狭かったのではないか?
by mmatusaka
| 2011-02-06 12:28
| 島原から日本を変える
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