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2015年 12月 20日
教育観が、かみ合わない。
教育観などというたいそうなものではない。普通の感覚というか常識というか。 つまり僕の考えている常識が通じないのだ。読者諸氏の常識を教えてほしい。 先の一般質問12/8で島原市教育委員会に対して、近年の卒業謝恩会は華美になっていないか?と問うた。 今島原の小学校は卒業式のあと、担任の先生らを招いてPTA主催?の謝恩会なるパーティーが常態化しつつあるのだ。大人(保護者ら)一人3500円、子供(卒業児童)一人2000円などの参加費を集めてホテルや料亭で飲食をするのである。招待を受けた担任は会費相当の祝儀袋を用意、花束や記念品まで受け取るわけだ。児童が主役のはずの謝恩会に酒が出るのだ。むろん子供はジュースだろう。 僕の謝恩会イメージは、児童たちが教室(ホームルーム)を紙のリングや花で飾り、黒板に絵をかき2~300円の会費でお菓子とジュースを用意する。保護者達は(参加するなら)教室の後方で先生と子供のやり取りを見守る。そんな風景だ。 教育格差は広がる一方。現今、15%(6人に1人)の子供が相対的貧困の中にある。学用品が買えずに、その費用を受け取る準要保護家庭の児童が普通に存在する。修学旅行費用も支援を受け、給食費も免除である。そんな児童がクラスに5~6人存在するのが現実である。担任はそれを知っている! そんな家庭の親は中学進学を前に、ただでさえ苦しい家計をやりくりしている。担任の先生との最後のお別れ会、(強制ではないだろうが)かなり無理をしてでも参加したいのが人情だ。 保護者から、そんな謝恩会の提案があった時、その企画立案者(おそらくはPTA役員)たちに、その有難い気持ち(担任に対する謝恩)を尊重しながらも、苦しい事情の家庭もあることを説明し、教室は開放しますから、どうか華美にならない形の会にしてもらえませんか?と誘導する担任先生たちを期待している。 教育委員会から、そんな方向付けを指導してもらえないか。と、いうのが僕の質問の趣旨だった。 事前のやり取り(質問取り)段階で、教育委員会(教育長)は、自粛の方向で考えていると言っていたので、まあ想定する方向に落ち着くものと期待していた。 ところが、教育長や学校教育課長の答弁は、全く似て非なる自粛だった。 (謝恩の)気持ちだけをありがたく受け取って、参加を見合わせる(出席しない)ようにするというのであった。 謝恩の対象である担任抜きで、勝手に謝恩会はやってくれ。先生も教育委員会もいないところでやってくれという回答なのだ。 僕の訴える、出席したくても経済的事情で出席できない児童保護者、かなり無理をして出席する児童保護者がいるのだから、皆が無理をせずに気軽に参加できる謝恩会に誘導し、喜んで参加する方向。 華美になるのを押さえて(華美になるのを自粛して)誰でもが参加できる質素なリーズナブルな謝恩会を! ではなく、 教師は参加を自粛するから、勝手にやってくれ!というモノだった。貧困家庭の問題は何一つ解決しないばかりか、カネと酒もまた会合の在り方として(飲みにけ~ション)それはそれで一つの手段であるわけで、(貧困家庭もあるんだという現実に思い至らない、)ほどほど中流以上の保護者の、悪意無き思い付きさえも愚弄するものだ。 謝恩会に、謝恩相手(形式主役)の担任が出席しなければ、それこそ単なる「飲み事」ではないか。PTA大会の打ち上げじゃないんだぞ! 僕の常識は、もはや現代には通用しないのか。強制じゃない、自由参加なのだから、出席できない家庭は遠慮なく欠席すりゃいいじゃないか。と。※ ※この問題を市役所職員に相談したら、「別にいいんじゃないですか、任意参加なのだから。」と。自分の意思(好み)で参加不参加を選択することの出来る(生活に困っていない)公務員には、参加したくても参加できない、参加するには相当の覚悟としわ寄せが待っている者の気持ちは分からないのか。(「それなら参加しなきゃいいじゃないか」の声が聞こえてくる。) モンスター化する親たちも困ったものだが(と、教育委員会現場はPTAを腫れもの扱い)、教育者の信念は、先生の矜持は無いのか! 困った立場の人も居るのだという、当たり前の想像力は無いのか。 そんな教育委員会を相手に、明日は議会最終日。東京学生寮問題(和解案の承認)が議案で上がってくる。常識の無い(弱い立場に置かれる者に想像力の及ばない)相手に、何を言っても始まらないが、やはり言うべきことは言っておかなければならぬ。 「弱いものは置き去りでよい」という非常識を認めることになってしまうからだ。
by mmatusaka
| 2015-12-20 20:18
| 文化・芸術・教育
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