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2018年 04月 13日
常識で考えれば元秘書官のウソは明白で、「記憶の限りでは」は逃げのテクニックであり、記憶の限りであれば「首相案件などという表現をしたかどうかはさだかではないし、会ったような気もするけどいつ会ったかの記憶はあいまいだし、その時に発言したかどうかはあいまいなんだよね。」とか「会った記憶はあるけど、その時だったかどうか記憶にない。」とか。 「指定の日にち2015年4月2日ですか、(手帳なりスマホのスケジュール機能なり、の記録を頼りに見つけて)ああ、あったあった、その日は○○大臣に同行して北京に居りましたので物理的に会えませんね。別の人物と勘違いではないでしょうか。」とか「確かにその日は内閣府で会議でしたね。ああこれだこれだ今治市愛媛県と面談…と書いてる。時間は何時ごろですか?……」とかなるだろう。 まあ、常識が通じないのが霞が関と言えばそれまでだが、今のところ常識の範囲に収まりそうだ。「記憶によれば会っていない」は嘘で「会ったと言いたくない」もしくは「会ったと言うなと言われている」ということのようだ。 真夜中の出来事ならまだしも、人に会うのが仕事の文科系職場の役人がその日彼らに会っていないのなら、別の誰かに会っていたというアリバイを突き付ければ簡単に「会っていないこと」は証明できるはずだ。会ったくせに会っていないというウソをつくにはアリバイ工作(証拠捏造)が必要になり墓穴を掘るだけだ。 再び常識に戻るが、先般かつての相棒議員清水宏さんに会って久闊を叙した。あとで考えれば、並んで記念写真を撮っておくのだった、とか思うのだけど、その時は中々思いつかない。今回は、たまたま「本」の話題になって、清水さんが今改めて若桑みどりを読んでいるという話から、メモるより写メった方が速いということで、ついでに紹介者も入れてこんな写真になった。 驚きなのはスマホで撮った写真もこの頃は色んなデータが含まれる。「プロパティ」とやらをクリックすると、撮影日時まで残っているのだ。恐れ入る。 いろんな出来事はそれぞれ独立しているので、記憶だけで時系列に並べるのは難しい。ましてやその日時を問われても、厳しいものがある。そういえば、4/7の「まちカフェ」の時、清水さんの近況を報告したから、4/7より前のことだった、とか。 内閣府で首相案件のお墨付きをもらったことを、そのあとすぐにお礼もかねて総理官邸も訪問したから、その時の記録がどちらかに残っているだろう。とか出席者を覚えていればそちらに確認もできる。 まちカフェの翌々日?だったか、常連メンバーの一人Nさんが「まちカフェ参加できませんでした。どうでしたか?」と。そういえばNさんは欠席だった。(居たものと思い込んでいた!) ことほど左様に、記憶はあいまいで、記録は大事というわけだ。僕のメモ帳はかなりいい加減で毎日丁寧に記録を取ればいいのに、数日まとめて備忘メモ。いつだったかわからないまま「?」付きで記録したりする。 霞が関の非常識を学ぶつもりも取り入れるつもりもない。正直がいちばんだ。霞が関連中は「記憶にない事」を確実に構築するために、かなり入念な記録を残しているのではないかと推測しているが、いずれにしても記録はきちんと残しておくに限る。真実の記憶をよみがえらせる大きなきっかけになるからだ。正直がいちばんだ。
by mmatusaka
| 2018-04-13 11:38
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