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2018年 07月 01日
田島さんにお願いするつもりだから、OBとして総会に顔を出してくれと世話人の先輩から出席要請があった。いわゆる後援会組織も充実させたいということらしい。この先輩はBS(ボーイスカウト)時代、クマ班の班長で僕はその時次長だった記憶。田島さんは隊長の補佐をする副長さんだった記憶。 2級だか1級だかの昇級試験の時、田島副長はポケットブックを渡して「この本のタテの寸法は何センチか?」と。スカウトは、モノサシが無くても長さが測れなくてはならない。自分の背の高さ、両手を広げた長さ、歩幅(×歩数で歩行距離も)、手のひらを開いて親指と小指の距離は記憶していなければならない。手のひらを広げて計測すると。ちょうど親指と小指が本の両端に重なった。「18センチ?」記憶が正しければ18センチなのだが、これは試験だ、緊張すると力が入って、本から五ミリほど指が飛び出す。別のモノサシ(指の間の節と節の寸法など)を駆使して、結局「17センチ5ミリ」と答えた。いつも厳しい田島副長が、ニコリとして「よし!合格」。うちに帰って、実測すると18センチだった。そんな記憶、田島副長ではなかったかもしれないが。 誰も異論はなく、田島さんが団委員長に就任。 ************************************** この日(6/30)は朝から、PTA活動に熱心な人と話し込むうちに、考え方が微妙にずれてかみ合わず、とうとう怒り出される始末となって困惑していたところだった。折しも、日本サッカーのポーランド戦を巡って、僕の感想は(いま日本の世論は西野采配を肯定するのが多数派のようで)否定的。教育観や価値観が違うのかなあと感じていた矢先のことだった。 ************************************** ちょこっと前に記した僕の文章があるので再録する。 長崎新聞の「うず潮」に載せたものだ。 2001/6/5 タイトル「質素なスカウト」 -------------------------------------- 僕は、少年の頃ボーイスカウトだった。 数学年にまたがる子どもで構成する班活動は最初なじみにくく、インドア派だった僕にはハイキング訓練のような野外活動は苦手。音痴なので集会で必ず歌うソングもうれしくはない。さらに三つの誓いと十二の掟(おきて)を丸暗記して、しかも日々実践すべしという厳しいものである。集会が待ち遠しいなんて思ったこともないのに、結構休まず参加していたのが今考えると不思議だ。 野営のとき。たき木を集めて火をおこす。要領を得ないうちは生木から出る煙に目を真っ赤にしてヒョットコ顔で息を送り込む。他の班はもう食事が始まっているのに、自分の班はまだ火も燃えさかってくれない。腹はグウグウ鳴る。ようやく出来たご飯はちょっとゴッチンだが、自分たちで作った食事は格別である。でも腹を下す。 そんなふうにして自然と格闘しながら、できなかったことが一つずつできるようになっていく。 時代は高度成長期にさしかかり、夏の三泊野営のためだけに寝袋を持参する裕福な子も出はじめていた。そんな中、毛布の三分の二をうまく縫い合わせて筒にした寝袋を工夫しているスカウトがいた。三分の一の部分を重ねたりして暑さ調節の出来る優れものだった。当然彼の方が皆の尊敬を集めた。 上級生になるにつれて僕はスカウト活動に熱心になったが、進学して島原を離れたのをきっかけに遠ざかってしまったけれど… 現在、学習塾や習い事などいろいろな事情でスカウト活動は下火とのこと。「誠実」「親切」「勇敢」など十二の掟も(だれでも入りやすいように)八つに減ったと聞いて、「質素」の徳目はふるい落とされたかなあと心配していたら、しっかり「スカウトは質素である。」と明記されていて、安心した。 当時、新品の制服より、先輩のお下がりの制服に補修を重ねたものの方がかっこよくて、袖(そで)に輝く「裁縫技能章」は質素なスカウトの誇りであった。穴あき靴下の修繕に時間をかけても、しかられなかった少年たちは恵まれていた。 http://masao-m.com/uzusio/uzu10.html ------------------------------------------ 今考えたら、ボーイスカウトの価値観は教育勅語より怖いものをはらんでいる。アウトドア活動を通じて健全な子供の育成云々説明を付けても、そもそも「スカウト」は「斥候」(せっこう=敵軍の動静・地形などをひそかに探り監視するために、部隊から差し向ける(少数の)兵)。 わが親は思想的な背景や教育的な配慮で子供をボーイスカウトに預けたのではないと思う。道を隔てたカトリック教会(活水幼稚園併設)で何かやっているというわけで、ピアノや習字の習い事のような託児所のような感じではなかったか。 戦時中なら、軍の意向をそのまま反映したような社会教育機関にも成れただろうに、生い立ちが英米で露骨な横文字団体なのでむしろ迫害されて、戦後平和平和の教育界にあっては、ボーイスカウトの教育理念は右寄ったものと位置付けられたのか?その意味で多数派ではなかった。そんな少数組織を応援する人は不特定多数ではなく特定少数だったようだ。誰でも入団できるのだけど、支援者が例えば〇オンズクラブとかの所属だったりして、街なかの子弟しか入団していなかった雰囲気もあった。 結果として僕の場合(も)、学校とは別の角度の価値観世界にも踏み込んでいたことになる。色んな価値観、多様性、そんなことを考える今日この頃、皆さんお元気ですか。
by mmatusaka
| 2018-07-01 15:46
| 文化・芸術・教育
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