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2019年 08月 17日
地域事情を知らない人には、イメージしづらいかもしれないけれど、お付き合いください。島原城周辺のことです。 大手広場(市役所のあるところ)から上の町(旧城下町の街道沿い商家筋)~先魁~新馬場と海岸線に平行な道筋と、お堀端から第一小学校前・島原高校前を経て北門に抜けるいわゆる田屋敷通りは実は一段高さが違っていて、並行するこの二筋の道は元来行き来が出来ない。方や城外、方や城外で、北に行くほど段差は小さくなるが、間に石垣があったわけだ。 今でこそ、大手広場から島原城堀端までは坂道でバスもすいすい上り下りできるが、この裁判所前~八尾病院前の坂道は後世の取り付け道路。裁判所(大手門跡)あたりにクネクネ曲がる枡形と段々があって城内と城外は高い石垣で隔てられていたのは、今も残る石垣群でわかる。少なくともスロープで行き来は無かった。上の町はよく分かるが、家の高さ以上の石垣がずっと並行している。駅前の縦道(今は七万石坂と呼んでいるが)この道は島原駅が出来た大正時代に出来た道で山側の石垣突き当りには。かつて郡役所があって石段を登っていた。ここもスロープではなかった。その後無理やり坂道でつないだのである。その隣の東虎口坂もまた後世の取り付けで、この地に(現在地より温仙堂在寄りに)東虎口門(東不明門)があって、ここもまたフラットなスロープではなくカクカク曲がり石段を上る枡形があったわけだ。 青い理髪館の横の坂道も洞源先生が住んでて洞源坂などと呼ばれているが、ここも後世につなげた所だ。さらに北に行くと、今は二の丸坂などと、国道から一小・文化会館前の堀端まで長いスロープの坂になっているが、これこそ僕らが子供の頃にはなかった。この道が出来てので、今は無くなったそのちょこっと北側に伊藤外科横に坂道があった。これとておそらくここは先魁門あたりの枡形あたりだろう。 というわけで、この辺りは、後世無理やりつないだ道は全て坂道でその抜け道以外のところは高度差があるわけだ。 写真のような感じ、 田町門、北門と、城内と城外を行き来できる場所以外はすべて石垣で仕切られて、要所要所には平櫓がその境界の見張りのためにあったという。その平櫓は石垣が少し飛び出した感じの石組みの上にあった。門がなくなったのと同様、この平櫓の跡も、宅地開発でほとんど原形をとどめていない。 今回、失われた遺跡もその一つだ。この石垣の上に櫓があったんだろうなという名残はある。しかしせっかく残っていた石組みは崩され、コンクリートの中に無造作に埋め込まれてしまっている。 保存しようと決めていた場所なのに、建設業者に相談を受けていながら、指示を忘れていた。と。教育委員会。お粗末である。
by mmatusaka
| 2019-08-17 01:44
| 文化・芸術・教育
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