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2021年 05月 27日
同業の写真店主、アマチュア写真家、こぞって、この珍しい自然現象を追いかける中、雑務に追われ、他人の撮った写真を現像焼付しながら、(特に夜の火砕流など)「きちんと三脚を構えて、絞りはこれくらいで、露光時間を~」など、撮影アドバイスをしたりするものの……肝心の自分の写真はなかった。 カメラマンの端くれとして、それなりの写真は撮影しておかねばと、思いながらも、連日現場に足を運ぶ余裕のある同業者やアマチュアカメラマンをうらやましく思いながら、自分の多忙を呪った。日増しに規模が大きくなる、火砕流映像がテレビに流れていた。 傑作をものにするには、それなりに足を運び、ビューポイントを探し、天候や時間帯を待たねばならぬ。他人の写真を見て、テレビに流れる映像を見て、やや焦りもあって、ともかくもまずは現場に行って、シャッターを切らなければ始まらない。と。 夕刻、取るものもとりあえず、カメラと三脚を車に積み込み、国道57号を上り交差する水無川のわきに停めた。「定点」と呼ばれる撮影ポイントがあることは、おぼろげに聞いていたが、道順も場所も知らない、地図もない。まあ、水無川を上流に上っていけばたどり着くだろう。(撮影メモによると、1991/5/29)。と、歩き始めた。 誰にも出会うことはなかった。記憶ではやたらに静まり返っていた感がある。とにかく静かだった。だんだん暮れていく時間帯で、ちょっと怖かった。ニワトリを飼っている農家があったが、(道を尋ねようにも)人の気配はなく、ニワトリの声だけが聞こえていた。遠くで、消防の見回りをしているらしく、消防車からカンカン・カンカン、消防団員が、立ち入り禁止だとか、避難してくださいとか呼びかけているマイク音が聞こえたが、すれ違うことはなかった。 初めて足を踏み入れる場所で、道に迷っていないか?と不安になりつつも川(水無川)により沿うように歩いた記憶がある。川は二股に分かれていて、その合流点に橋があった。「筒野橋」。うっそうとした渓谷はあとで、あああの辺が赤松谷なのかと。山は曇っていて、溶岩ドームも山の稜線もはっきりしない。人っ子一人いない。 まだこの時点では「火砕流が危険」という認識もなかったのだが、不気味であった。どのみち、この曇り空では写真も撮れないだろう、また次回、ということで下見だけでもして帰ろう。と。(今回改めて位置関係を確認すると、)もう少し上流に上れば、マスコミの集結している定点にたどり着いたことになるのだが。この「筒野橋」が、「定点」の上流なのか下流なのかもわからず、きびすを返した。直感的に、怖かった。小鳥のさえずりぐらいはあったのか?記憶にない。静かだった。 川を下りながら、振り返ると、上流にもっこりと煙(灰かぐら)が、もわっと。音は全くない。その小さなきのこ雲のような灰色の塊は、音もなく膨らんできた。(大きくなりながら、実はくだってきているのだった。)何枚かシャッターを切った。あっという間に、50ミリの標準レンズの画角からはみ出すほどになった。 僕の認識では、この火砕流の下は超高熱の危険箇所というものではなく、降灰が襲ってくる程度の認識だった。が、本能的に怖くなった。ほとんど駆けるようにして川下に下った。灰を被った記憶がないし、一連のフィルムを現時点で見つけられない。この一枚が、一番上手く撮れているということで写真にして残っている。57号わきの車に乗って、現場をあとにした。 その夜のテレビ報道で、これまでで最大級の火砕流で(国道57号付近まで、とか国道57号を越えて、などと、連日記録を伸ばしていったのだが)あったと。その時刻が符合した。 そのうちに時間を作って、再度撮影チャレンジしよう。今度はもっと広角のレンズも準備しなければとか、夜の火砕流も、とか。地理も分からぬままの無防備な準備不足を恥じた。 次の現地訪問が実現しないまま、すぐに、6・3が発生した。事態は一変した。僕の遭遇した火砕流が、あと少し大きくて、6・3級の規模だったら、と。市役所前のタクシー乗り場で、どの運転士も口をそろえた。「あの1時間前に、自分は命じられるままテレビ(前線基地)にフィルムを届けるよう命じられて、命拾いした。」「昨日と今日の勤務が逆だったら」。と。彼らにとって、定点は一番頻度の高い行先だった。 新聞記者にとっても、消防団員にとっても、生死の境を分けたのはほとんど偶然と言っていい「運」でしかない。(返す返すも消防団員の死は痛ましい。) ほとんど思い付きで、危険に対する準備も配慮もなく、運よく傑作写真が取れれば、と安易な気持ちで現場に足を踏み入れたことを大いに反省し、自らの軽卒を恥じた。 火砕流の危険性は(報道される専門家のコメントを丁寧に聞けば)認識できたろうか。報道につられて、珍しいもの見たさの物見遊山気分を掻き立てられこそすれ、真剣に危険を回避する方向には向かなかった。 風化させてはならない真実とは何か、 目に見えるモニュメントに。真実を託した時点で、真実は見えなくなる。
by mmatusaka
| 2021-05-27 10:45
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