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2022年 04月 01日
「島原中心市街地街づくり推進協議会」(以下、『街づくり』と略す。)の事務局を引き受けているのだが、この会の活動費もまた「補助金(税金)」が含まれているので、お役所年度に従って、3/31で区切る。 『街づくり』で、すばらしい成果物が出来上がった。誰が見ても、大いに納得の成果物としての報告資料集だ。今手元にpdfデータで存在しているわけだが、ペーパーレスの時代に、印刷して渡さないと役所は受け付けないかな? 役所というやつは、実にやかましい。一連の決裁ルートに、無能な役人(意地悪なとか、心配性なとか、重箱の隅をつつくタイプというか、忖度の塊というか、単に部下いびりのサディストか、受益者市民に「補助してやるからありがたく思え」と威張りたいのか、そんな輩)がいると、本等にストレスがたまる。今回の担当部局(都市整備課)は最悪だ。 そこまで意地悪されて、いびられて、恩着せられて、難くせ付けられて、こっちだって、営利でやっているわけではなく『街づくり』のためと思ってやっているわけで、何度かブチ切れて、そのたびに目の前の無能役人ひとりじゃないことは分かっていながら、八つ当たりしたりして、今度は自己嫌悪に落ちてしまう。概して役所は腐り果てている。 『街づくり』の補助金は雀の涙ほどで、国が6割・市が4割。なのになぜか、盛んに県が登場する。「県がやかましいんですよ」と。このやかましい県の役人がピーチくぱーちく、市の職員をいびり、国の役人にへいこらする膨大な時間つぶしに費やされる役人の人件費の100分の1あるだろうか。 「この領収書の金額は、会議費としては少しかかりすぎてませんか?(と県に突っ込まれたら説明が難しいとか)」とか、 「で、その会議の成果は何ですか?」と、 忙しい合間に集まって会議をし、街の現状を精査し、街の将来を話し合う会議をやったことが成果ではないのか?あなた方が、出した(これから後払いする)補助金(会議費)はその会議費ではないのか、しかも全額ではない一部補助。 で今回、例えば別の予算で作った『まっすぐマップ』に、その研究成果を盛り込んだ。と説明すると。 それは、『街づくり』の予算を使っていないので、事業外ですね。と。 こうして、その意地汚いイジメのほんの一部を紹介するだけで、吐き気がしてくる。 コロナ禍の中で延び延びになっていた、講演会(街づくりシンポジウム)が中止延期になり。それでも、そのために準備した資料等を活かそうと、軌道修正をはかり、そのあとの「見学会市内視察」だけでも何とかしてやりとげ、成果をあげようと思っていたら、「補助金を取り下げてはどうか?早めに取り下げるか減額計画変更してくれ。」と、1月の終わりに言ってきた。 「やるつもりだ。」 「出来なかったらどうします?」 「出来なかったら補助金は返す。」 「返せないんですよ」 「返せるはずだ」 「無理です」 「審査の結果、やった事業が補助対象でなかった項目については、返還でしょ?返還の規定があるはずだ。」 「・・・」(返還手続きが面倒???。県や国が応じない。???) 未だに、このような役所文化なのだ。かつて、年度末になると、架空の領収書が飛び交い、業者に預け金という裏金を積み上げ、課長たちがネコババしたり、退職部長の送別記念品に化けていた。今もそれを強要している。計画が変わり、消化出来そうにないなら事前に変更(一部)取り下げは、それはあっていいだろうが。 しかし、これからやろうとしていることを(しかも申請段階から計画していたことを)、(どうせコロナで出来ないかもしれないのだから)コロナを理由にやめてしまってはどうかという提案だ。 要は、仕事をしたくない者たちの集まりが役所なのだ。事前に決めた通りにやる以外の選択肢を持たないのだ。多分制度的には、結果として計画が変わったとか少なくて済んだとか、を、受け入れるルールがあるはずだが、それをしたくないのだ。 例外的な手続きは、それは確かに面倒だろうが、市民の自然な行動をなぜないものにしたがるのか。「頑張ってください。支援します。このコロナ禍のご時勢、万が一規模縮小になったら、返還手続き、面倒ですがお手伝いします。」と言ってくれていいのではないか。 結果、ほぼ事業は終了し、すばらしい成果を(目に見える、この事業の予算で作った報告書を)残した。また次回紹介しますね おそらく市長(市民)は、この報告書を見れば「素晴らしい活動をしたね」と評価するだろう。「僕たち都市整備課が頑張りました。」 誰か別の偉い人が「何だこの活動は、税金の無駄遣いだ」と言ったとする。 「僕たち都市整備課は、止めようとしたんですけど・・・」 会議費の領収書の額が少し大きいような気がすると、国に指摘されたらどうしますか? 「その分は補助は貰わんでもいいです。返します。」 銀座の料亭で、会議を重ねている連中に、そんな指摘をする根性があるものか! ねちねち、県の役人は言うかもしれない。言わせておけ!どうせ「返せ」という行動には出ない。そんな請求手続きをする根性は無い。 ねちねち、市をいびり(市が僕たちをいびるように)今回は特別に認めてあげるから、と、恩を着せ、審査時間を延々と続け、時間をつぶして、あわよくば時間外手当を稼ぎ出すのが関の山。 役所文化は、一連の裏金時代に終わっていると思っていたのだが、「使い切れ、」ではなく。「使うな。」になっているのだ。 「使って、余ったら返して」とか「なるべく辛抱して、残してくれたらありがたい」という市民感覚は、全く通用しない。 役所の一般論なのか、都市整備課だけの問題なのか、確認の意味で、あえて都市整備課の名前を出しました。関連する県の部署、国の部署については追って確認します。誰が「返還」を拒んでいるのか。
by mmatusaka
| 2022-04-01 02:06
| 社会時評
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