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2022年 06月 20日
![]() 自分やその家族が幸福に安心平和に暮らせるように、と普通は思う。基礎体力をつけて(つけさせて)社会の中で生きていくために、読み書きソロバンの基礎学力も。と思う。まあ国策としても(一般的な世界の常識で)基礎的な教育は、本人のためにも、国家のためにも良かろうというわけで、利害が一致する。目先の事しか考えられない不幸な民を放置すれば、その分社会の損失にもつながるわけで、健全な国の政治は「義務教育」を推奨する。 国家や資本家の側からしても、税金を取ったり、仕事をやらせるのに言葉も通じないのでは差し支える。基本的な健康と読み書きぐらいは統率管理のためにも必要とみなす。ではそれ以上の学問はどうか。 米百票で有名な長岡藩、小林虎三郎は、飢饉続きの藩政を立て直すには、目先の飢えをしのぐだけではだめだ、人材育成こそが大事であると、学校を作る。同様に、眉山大変肥後迷惑の島原寛政大地変後の島原藩主松平氏は、藩校「稽古館」を建てた。学問を通じて、優れた人材を育て、正に学問による知恵で危機を乗り越えようというわけだ。健全な為政者は学問を大切にする。 長い目で見れば、学問こそが人々のより良い社会を作っていく。方法は一通りではなく、どの方法がいちばん有効か、それこそ学問を奨励し、一番いいやり方にたどり着けばいい。 ところが、システム変更になると、既得権益のバランスが変わる。わかりやすい例でいえば、半数以下の金持ちの男だけで考えるより、全数の男女で知恵を出し合った方がいい案が出るのはわかっているのに、それをやると、男の出番が半減する、エラソーに出来なくなる。で、男であること以外にとりえのない男どもは、女の出番を排除しようとする。 資本主義社会の中で、労働者から上前をピンハネする構造を確立した資本家どもは、労働者の待遇改善を拒否したがる。長い目で見れば、労働者の待遇を改善して、より良い会社(工場)にすれば、優れた人材も集まり、最終的に利益も出すことになるという考え方もあるのだが、企業努力をしたがらない、楽してカネだけ欲しい輩は(資本家同士で)共闘して、ロビー活動(為政者に働きかけて)奴隷制度的なものを維持しようとする。 永年人間をやってきていて、情けない話だが、自分のところで働く労働者に気持ちよく働いてもらって、自らもほどほどの生活が出来ればいいのじゃないかと思うのだけれど、あくなき欲望というか、人の不幸や貧乏がうれしくてたまらない、自分さえよければという、「今だけカネだけ自分だけ」もまた人間の側面かもしれない。 自分たちも飢えていて、隣国の穀倉地帯にちょこっと盗みに入るなら、まだかわいげがある。国内の飢えている者を助けることをせず、逆に脅したりすかしたりして兵士に仕立て上げ泥棒侵略軍団を……だんだん横道にそれていくのでこの辺にするが 本来、よりよい社会の実現のために、学問を奨励し、学問に向かう学生に期待を寄せるはずだったのに、学問によって、今の矛盾が暴かれ、自分たちの利権を手放さなければならない、と。学問を恐れ、排除しようとする現今。 学問をする学生が、本当のことを指摘し、現状の不合理不正をただすなどと言われては、困る。と。彼らは、今の社会がよりよくなることを望んでいないのだ。特に今の日本はその傾向が顕著だ。 学問を尊重し、優れた人材に、新技術や新システムを開発してもらうことで、総合力で国家として力をつけ発展している国が多くある中で、一部の既得権益を守るためだけに汲々として、学問を弾圧し、学生をないがしろにして、すっかり国力を落としてしまった日本。日本を追い越して行った国々が、本当の意味で進歩発展しているかどうかはわからない。「今だけカネだけ自分だけ」が徹底しているだけかもしれない。が、それでもトータルでは日本よりましだ。政治家(およびその周辺)が私腹を肥やすだけの政治。 これだけ徹底して「学問」が貶められ、今だけカネだけ自分だけのため以外に学問の使い道はないよ、と刷り込んでしまい、既に学問とは何かの解釈が180度変わってしまっている。もう誰も学生に期待していない。もう誰も学生を恐れていない。怖れようがない。 世の中を動かしている自負のある人たち(為政者も含めて)、何を恐れているのだろう。もう少し自分のやっていることに自信を持ってはどうか。「まだまだ若いモンには負けんぞ!」という矜持はないのか。あとから出てくる優れた人材と渡り合って、胸を張って切磋琢磨してはどうか。 あまりにも後ろめたい生き方をしている今の大人たち。「学問」などという高尚なものを持ち出すまでもない。普通に読み書きソロバンが出来るものなら誰だって気づく程度の「低俗なシステム」だ。核廃棄物はほったらかしの原子力発電然り。わいろが飛び交う経済競争に本当の技術競争力が育つわけがない。 かつて(治安維持法の頃、60年安保の頃)学生たちが、このままではおかしい!と気づいた頃の世の中より、はるかにおかしな世の中になっている。学問を弾圧するぐらいでは追いつかない。学生の目を学問に向けさせず、普通に読み書きすればわかるような不正も、不正と感じさせないようなプロパガンダ。 それでも、やはり多様な人間社会、「間違いに気づき、間違いを指摘する者」が出てくる。だからやはり、学問は脅威だ、教育は怖い。教育機会を奪い、真理を追究する輩が出てこないように、貧困を押し付け、まずは貧乏人から本物学生を根絶しようとする。恵まれた環境から誕生する才能ゆたかな学生も、それはそれ。しかし、貧困の中から生まれる学生は、覚悟も違う。怖れられている?だから奨学金は出すな、貸与して借金漬けにしてしまえ。学問の場(学校)をなくせ。と。 機械を発明し、疫病を克服し、人の生き方(哲学)までも、発展進歩させてきた人類のはずなのに、そのための学問だったのに。 まだ明治の初めのころ(伝え聞くところによると)書生さんたちは、明日の日本をしょって立つ人材として、期待尊敬され、温かい目で見守られていたような気がする。そして一方で、「後世畏るべし」と、世の中を動かしている人たちから一目置かれ、怖れられていた。 心ある為政者や、国の行く末を憂える志士たちの「学問」の位置づけは、福沢先生に言われるまでもなく、高い評価があった。もちろん当時から「おなごに学問などさせるもんじゃない」などと(今も?)思う輩も居たのは居たのだが。 出でよ、真の意味の学生。学生の時の志を持ち続ける者よ、変節しないでくれ玉へ。
by mmatusaka
| 2022-06-20 11:33
| 文化・芸術・教育
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