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2022年 08月 01日
早いもので、それから1週間が過ぎました。「それから」とは、去る令和4年2022年 7月23日、田口孝雄氏の文化講座【※天草島原一揆後の島原を治めた代官鈴木重成】を聴講して大いに響くものがあったと本ブログ『新・土佐日記』に記して、何らかの形で記録(考えたこと)を残そうと決意して、1週間ということ。 その間、例によって(報告すべきこと、記録に残すべきことは山積していながら)又ブログが途切れているので、ブログ記事としては連続することになりました。猛暑は続き、(二年まえ、この新型コロナ感染症はインフルのように、夏前には収まるだろうと言っていたのはどうなったの?)コロナは第7波として猛威をふるい続け、連日最多記録を更新する日々。ロシアのウクライナ侵攻状態は世界経済だけでなく、世界観(平和観)に影響を与え、国内では安倍元首相の国葬を巡り(反社勢力と政治の癒着など、思ったより反対意見が多いとの長崎新聞報道)閉塞感が支配しています。 そんな中でも、こうして文化講座が再開され、僕の関わる『島原中心市街地街づくり推進協議会』では、街づくりの機運に具体的な動きも見え、きめ細かに報告したいことも多い中で…… 前記事でも少し触れたように、僕の個人的な受け止め方であって、普遍的な(全体に通用するような)内容でもなさそうなので、公開することもない(公開するとなると、それなりに誤字脱字も含めて、それはそれで、自由発想が制限されるので)と思っていたのですが、数少ない本ブログ読者の中に、共感を持ってうなずき、意見してくれそうな何人かの顔が浮かぶので、田口氏にお礼状のカタチを借りて感想を述べようと思います。 長文になるかと思いますので、関心ない方は読み飛ばしてくださいませ。 この日7/23は、地域コミュニティーの新しい試みを模索するグループの会合があり、いわゆる地域住民参加型で大いに関わり応援したいものの、自分達が何とかしなければならない(行政に任せきりではいけない)と言いながら、どうしても年配者ほど、本来政治がやるべきことだという意識が強く、市議という立場への期待が感じられ、気が重いわけで…… 「今日は、午後から別件がありまして(問われれば:築城400年事業を進める立場から、参加しておきたい講演会がありまして)途中で失礼します。」と断りを入れていた。最後まで付き合えば、「この件を行政に頼んでくれ、議会で取り上げてくれ」となるからです。 つまりそちらの会合を中座する言い訳に田口様の講演会を利用しようという魂胆なのでした。(動機は不純でした。) 司馬遼太郎は、さすがに多くの共感者を獲得している国民作家。その歴史観は現代日本人の一つの基準になっています。『街道をゆく』では、分かりやすく、松倉重政と天草の寺沢なにがしは(善良な農民である)キリシタンを弾圧した悪役として酷評。 講義のあと「お礼」を述べられた、松尾卓次先生は、松倉重政公の別の側面、奈良五条時代には領民に慕われる藩主であったこと、島原の「街」を残した業績もあるとして、折に触れて、司馬遼太郎の松倉評に異を唱えていらっしゃる。司馬氏は分かりやすい図式にするために、さほどの悪意もなく書いたのだろうけれど、島原の街並みを愛する者たちにとっては、その街並みまで、非業の死を遂げた老若男女の犠牲の上に成り立っているなどと言われれば心外であります。一方で、司馬氏自身は島原半島の西有家辺りに住みたいなどと、いいところだよね、と、島原を持ち上げているわけです。 司馬遼太郎によると、原城でなくなった人たちを弔う者はいなかったというが、その慰霊の弔いこそ、鈴木さまの仁政の一番の主題だった。と、(田口氏は、鈴木代官が一揆後の島原を治めたという史実を解き明かしたうえで)、鈴木さまが弔ったではないか!(キリスト教のやり方ではなかったが、仏教で弔った。)と。 田口氏もまた超有名人司馬氏の言を質す形でアンチテーゼを示した形。まあ、司馬氏を弁護するわけではありませんが、文脈から判断するに、ふつうは殉教者のあとに残された家族や友人が弔うわけだが、(禁じられた宗教キリスト教ゆえに弔われることはなかったということではなく)島原の乱の場合その家族友人も含めて全員が殉教したわけで、一人残らず原城の露と消えた=弔う者がいない、という意味合い。かな、と。 冒頭、現今のロシアによるウクライナ侵攻を引き合いに、日本がロシアのバルチック艦隊を撃破したことで、ビール瓶のラベルに見るように、遠くフィンランドに影響を与えた。と。(多分、田口氏も戦後の日本の教育環境にあって、)自虐史観ともとれる歴史観に一応釘を刺しつつも、かといって、安倍政権以来特にエスカレートする超右寄り史観(日本の戦争は、欧米の植民地主義を食い止める、正しい戦争だった!)も、とくに現今のウクライナ情勢、更には安倍氏の銃撃死を背景に、幅を利かせてもらっても困る。一方的に日本だけが悪かったというのは間違いで、どちらかというとやはりアメリカの方が間違っているわけで(五十歩百歩)、戦争はともかく絶対悪ではあるのですが……、 そのアメリカの間違いと同様、実は「キリスト教」こそ、現今の必要以上の高い評価に一石を投じる講義でした。曰く「キリシタンの嵐」。キリシタン弾圧の嵐ではなく、キリスト教側から見た、異教である仏教に対する「嵐」 僕らの日本史では、松倉も寺沢も悪い人、キリスト教徒たちは純粋で正しい人たち。キリシタンは政治という悪いシステムによって迫害された。と。 270ページの本一冊を書き上げるために、膨大な量の資料があるわけで、紹介された本だけで、気が遠くなります。そんな田口氏のことだから、膨大な読書量だと思われます。天草を尋ねたグループが、『完本春の城』を全員読んでいたというエピソードは、確率としては無理があります。『完本春の城』まで読んでいるマニアックな人たちのグループが訪ねてきたという意味でしょう。 それにしても、「石牟礼道子を追っかける女性カメラマンを追っかける文芸春秋編集者」の紹介の写真に、わずか12ページの資料の見開き2ページを使う手の込みよう、恐れ入りました。いったい、そもそも「石牟礼道子」の名前を知る受講者が何パーセント存在していると思っているのでしょうか?「こんな有名人を知らないの?」ということで紹介をなさったのだと思いますが。 世界文学全集に唯一日本代表として石牟礼道子の『苦海浄土』が収録されている事実の紹介。60名の受講者の中の何人が承知していると思って……。たまたま、僕はほんの3年前読むことが出来た数少ない同志だと思います。すごい体験でした。偶然知りえたというだけだけど、すごく誇らしく思っています。 元々僕の場合、多くの人が雑学として知っている(原本は読んでいなくても、概要だけは知っている的な)一般教養知識に疎いわけですが、たまたま知っていてしかも原典を読んでいるという意味で、ものすごく親近感を感じたわけです。 そんな僕だから、機会があったら『春の城』は読む本リストに入っていたものの、この春の城が、「原(はる)の城」のことだとは、知りませんでした。日本を代表する作家石牟礼道子の代表作は、『苦海浄土』よりむしろ『春の城』と。 これまたたまたま僕が読んでいる『ローマ人の物語』(塩野七生著)ですが、多分田口氏は読んでおいでと思うが、無限大に存在する書籍の中から、何を読むかは限られています。 ローマ人たちの国はキリスト生誕より昔の2000年前の話です。しかしそこには人類(人間)の到達した一つの理想世界が存在します。古き良き時代の日本を連想させる(八百万の神に感謝をささげる)寛容さ、『ローマ人の寛容』がテーマである超長編歴史物語です。そのようなローマ世界が滅びていく過程で最強最大の「力」こそ「キリスト教」だとして描かれています。仏教にせよ、キリスト教にせよ人々に救いの手を差し伸べているようで、実は信ずるものだけは救うが異教徒は許さないという超排斥の論理。それぞれが信じる神(宗教)を容認するローマ人の寛容は、2000年後の今日どこに引き継がれているのでしょうか? ちょっと、難しい言い回しになっているかもしれませんが、キリスト教は(この2000年を支配してきましたが)万能ではないし、そもそも正しいとか絶対とかではない。そんなキリスト教的な価値観で歴史を支配してきた欧米。特に現今のアメリカ。ようやく認識に変化が出始めています。アメリカは正しくも無ければ、理想でもなく、むしろ世界を悪い方向に誘導しているかもしれない。いや間違いなく破滅に向かっている。と。 今回の講義で「キリスト教」を相対化してとらえていただいたことは、今僕が伝えたい多様性、多様な価値観につながります。 「クレオパトラの鼻の高さ」の話も興味深かったです。歴史に「もしも=イフ」はないことは承知しています。しかし、カエサルとアントニー(だったかな)の運命はクレオパトラなしには動かない。色んな戦(いくさ)があった。どちらが勝ち、負けるかはまさに、偶然の連続。あの時雨が降らなければ、その日彼がそこに居合わせなければ、小倉の上空が雲に覆われていなかったら、と。まさにクレオパトラの鼻です。この話は地球の裏側で羽ばたいた蝶の影響という話を連想させ、僕らは歴史に参加していることにつながります。僕もまた、歴史の構成要素なのだと。田口氏の研究が無ければ、鈴木代官が島原の地で原城で無念の死を遂げた人々の慰霊をした事実は今日に伝わらなかったかもしれないわけで。 横道にそれますが、「無いこと証明」の話。鈴木代官が島原に滞在した記録が残っていないから、島原には赴任していなかった?という考え方(林銑吉氏)。もともと、「有る事」の証明は出来ても、無いことの証明は出来ません。林氏がどのように書いたかよくわかりませんが、「無いこと」を根拠にした話を展開するのは勇み足でしょう。鵜呑みにするのは現代人の悪い癖。林氏の「間違い」を指摘したことの意味は大きいと思いました。 今だに冤罪が後を絶ちません。 「存在しない事」を、人間の想像力(創造力)で埋めることは否定しないし、そこに(事実は無くとも)真実があると思います。 ともかくも、色んなことを考えさせられる奥深い講義でした。ありがとうございました。優れた書物は、それぞれの到達点に応じて、更に一歩高いところに連れて行ってくれます。そのような書物に出会ったような講義でした。
by mmatusaka
| 2022-08-01 00:11
| 個人的なこと
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