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2022年 12月 28日
相次ぐ政治家の不始末。大臣級から地方議員まで、よくもまあ。電車の中で悪ふざけして懸垂やったとか、議場で居眠りしたとか、酔ってタクシーで座席を蹴ったり暴言吐いたとか、かわいいのもある。(問題は、酔って覚えていないとか、目をつぶって考えていたとかウソをつくことだ。ウソはいけない。)。
かわいくない看過できないような不正会計、思想犯(差別発言)、多数派による暴挙(説明の無い無言の多数決。)もある。
具体的に言えば、岸田政権になってからの閣議決定。閣議決定は国会前の政府方針決定でしかなく、これから「議論」を経て法になるというモノ。それが、安倍政権時よりさらに輪をかけて酷い。産経・読売だけでなく「既定事項」のように扱うマスコミ。 安倍政権の安保法制はまだ「十分な議論が尽くされないままの強行採決」だったが、この数日の閣議決定(日本国憲法は何処へやら、戦争の出来る国への方向転換)は、国会の場での議論とか想定もしていない。どうせ多数決で押し切ってしまうのだから、国会を開くことそのものが無意味であると(マスコミたちは)決めつけているようだ。国民も、もはや受け入れてしまったかのような扱いだ。 無論、賛否あっていい。現状が良くないと思う者も、現状のままの方が良い、更にはもっと遠慮なく戦争が出来るような勇ましいわかり易い国体になった方がいいと思う者もいるかもしれない。熟議の末の(多様な意見があることを承知の上の)多数決なら、諦めもつく。もはや政治の体(てい)をなしていない。政治不信、などという生易しい表現ではないのかもしれない。政治不在。 僕ら少数の弱い立場に立って云々とか、そんなことが言えるレベルではない。強い者たちの数の力、その数の力、多数決の暴挙を目(ま)のあたりにすることもなく、なし崩しにやられてしまっている現実。 多数の暴挙に押し切られるたびに「もっと仲間を増やして」とか、「誰もが賛成せざるを得ないようなことから」とかアドバイスを頂いてきたが……。さらには、どうせ負けるんだから、負け戦は挑まない方がいい……などと。 確かに議会は決定機関であるから、否決されればそれまでではある。しかし議会は、議論するところであり、討論し、熟議を重ねる所であるはずだ。そして議員は(政治家は)議場だけでなく絶えず、その信念に従って意見を(政策を)述べ、間違った政治に異を唱えなければならない。 それは違う。少なくとも僕に希望と勇気を与えてくれた。政治不信に陥り人間不信に追い込まれていた僕に、人間を信じることを教えてくれた。 「諦めたら試合終了」だけど、スポーツの世界なら、諦めさえしなければ、運よく勝てることもある。(先般のワールドカップサッカーは、そんなことを教えてくれた。) 逆にスポーツでは出来ても、現実の戦争や暴政は止められっこない、と諦めていないか?。しかし結果ではない。生き方の問題だ、生きる姿勢の問題だ。 よく世間では「サクセスストーリー」がもてはやされ、こんなふうにすれば成功するとか、言うけれど、人生に(節目はあるけれど:試合に勝ったとか試験に合格したとか)=政治に「結果」は無い。いつも途中である。
by mmatusaka
| 2022-12-28 00:50
| 社会時評
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