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1 2018年 04月 13日
![]() そんなわけで、今日はいつになく信心深く過ごしていたわけだが、夕刻、恩師(中3の時の担任)の訃報に接することとなった。 先般の『君たちはどう生きるか』の後、小中学校の入学式式典に臨席したりして、自らの中学校時代を振り返りつつ、今日は『隠者の夕暮れ』の一節などを紐解いていたところだった。一方で明日4/14の干潟を守る日の集会の準備(今回は参加するだけだが…)やら。その翌日4/15の絵本原画展の打ち合わせなどの準備やら、はたまた関係している各種団体(森岳商店街・がんばスタンプ・島原市中心市街地街づくり推進協議会など)年度替わりの総会を控えてそちらも多忙なのだが、いつになくちょこっと浮世離れして哲学的というか、信仰的というかそんな気分であった。 地元紙島原新聞の訃報欄を見たのは午後7時、既にお通夜が始まっている時間だった。速攻で黒服に身を包み自転車で葬儀場へ。すでにお経は始まっていた。崇台寺の安藤住職が(浄土宗)南無阿弥陀仏を唱えて、お通夜の意味などを話された。今日一日色々考えていたことともつながり、逝去された恩師石橋先生との様ざまなやり取りが思い出されて悲しいがすがすがしい気持ちになった。 先生とは、学生時代はそれほど深く関わったわけではない、その後の付き合いが長いのだ。特に議員になってからだ。単に教え子として人物に太鼓判を押すという応援ではなく、まさに同志として、今の政治に何が求められているかという大きな視点で支援いただいていた。 こくぼのりこ(県知事選)だったか、犬塚ただし(参議院選)だったかの時は選挙事務所のある長崎までボランティア(あて名書きなど)に馳せ参じるなど、深夜のドライブをしながら政治談議をしたことが思い出される。 非武装中立論の石橋正嗣はたしか従弟かに当たるようで、まあ筋金入りの平和主義者だったわけだ。冥福を祈りたい。浄土で待っていてください。 ▲
by mmatusaka
| 2018-04-13 21:19
| 個人的なこと
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2018年 04月 13日
![]() 常識で考えれば元秘書官のウソは明白で、「記憶の限りでは」は逃げのテクニックであり、記憶の限りであれば「首相案件などという表現をしたかどうかはさだかではないし、会ったような気もするけどいつ会ったかの記憶はあいまいだし、その時に発言したかどうかはあいまいなんだよね。」とか「会った記憶はあるけど、その時だったかどうか記憶にない。」とか。 「指定の日にち2015年4月2日ですか、(手帳なりスマホのスケジュール機能なり、の記録を頼りに見つけて)ああ、あったあった、その日は○○大臣に同行して北京に居りましたので物理的に会えませんね。別の人物と勘違いではないでしょうか。」とか「確かにその日は内閣府で会議でしたね。ああこれだこれだ今治市愛媛県と面談…と書いてる。時間は何時ごろですか?……」とかなるだろう。 まあ、常識が通じないのが霞が関と言えばそれまでだが、今のところ常識の範囲に収まりそうだ。「記憶によれば会っていない」は嘘で「会ったと言いたくない」もしくは「会ったと言うなと言われている」ということのようだ。 真夜中の出来事ならまだしも、人に会うのが仕事の文科系職場の役人がその日彼らに会っていないのなら、別の誰かに会っていたというアリバイを突き付ければ簡単に「会っていないこと」は証明できるはずだ。会ったくせに会っていないというウソをつくにはアリバイ工作(証拠捏造)が必要になり墓穴を掘るだけだ。 再び常識に戻るが、先般かつての相棒議員清水宏さんに会って久闊を叙した。あとで考えれば、並んで記念写真を撮っておくのだった、とか思うのだけど、その時は中々思いつかない。今回は、たまたま「本」の話題になって、清水さんが今改めて若桑みどりを読んでいるという話から、メモるより写メった方が速いということで、ついでに紹介者も入れてこんな写真になった。 驚きなのはスマホで撮った写真もこの頃は色んなデータが含まれる。「プロパティ」とやらをクリックすると、撮影日時まで残っているのだ。恐れ入る。 ![]() ![]() いろんな出来事はそれぞれ独立しているので、記憶だけで時系列に並べるのは難しい。ましてやその日時を問われても、厳しいものがある。そういえば、4/7の「まちカフェ」の時、清水さんの近況を報告したから、4/7より前のことだった、とか。 内閣府で首相案件のお墨付きをもらったことを、そのあとすぐにお礼もかねて総理官邸も訪問したから、その時の記録がどちらかに残っているだろう。とか出席者を覚えていればそちらに確認もできる。 まちカフェの翌々日?だったか、常連メンバーの一人Nさんが「まちカフェ参加できませんでした。どうでしたか?」と。そういえばNさんは欠席だった。(居たものと思い込んでいた!) ことほど左様に、記憶はあいまいで、記録は大事というわけだ。僕のメモ帳はかなりいい加減で毎日丁寧に記録を取ればいいのに、数日まとめて備忘メモ。いつだったかわからないまま「?」付きで記録したりする。 霞が関の非常識を学ぶつもりも取り入れるつもりもない。正直がいちばんだ。霞が関連中は「記憶にない事」を確実に構築するために、かなり入念な記録を残しているのではないかと推測しているが、いずれにしても記録はきちんと残しておくに限る。真実の記憶をよみがえらせる大きなきっかけになるからだ。正直がいちばんだ。 ▲
by mmatusaka
| 2018-04-13 11:38
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