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2018年 05月 21日
![]() ![]() ![]() この日(5/20)『青空カフェ』なるマルシェ風イベントがあるということで、(気になっていたので)訪問してみた。出展者の一人が、チラシを貼らせてください。ということだったので(わかば写真館)店先の一角を提供していたのであった。 ![]() 詳しくは知らないのだが、不思議な空間だった。かつて別荘地として分譲が進んでいた地域(普賢岳噴火で中断?)、山奥にまばらに家が建っている。車が無ければたどり着かない感じの住宅地。その一軒の入り口に『星のきかんしゃ』の看板。普通の民家と庭。庭いっぱいに出展者がテントを立てて、ベランダ風のデッキをステージにして演奏があっていた。その普通の住まいの中まで展示集会スペースとなっていて、住まいがそのまま交流広場という感じ。普段はどんななのだろう?この日はマルシェ(市が立っていて)でかなりの賑わいだった。 責任者(仕掛け人)の「人が集う場を作って提供したい」思いが伝わる手作り感あふれる場所だった。前日のご婦人たちは「staf」の名札を付けていた。知っている顔に何人も出会った。ミュージシャンたちは、森岳の酒蔵で演奏してくれたこともある方たちだった。一度ゆっくり、運動?の経緯を聞いてみたいと思った次第。 ▲
by mmatusaka
| 2018-05-21 17:57
| 島原半島は一つ
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2016年 01月 17日
この合併問題こそ、僕の人生の転機であった。「一市十六町対等合併」を公約に松坂昌應は市議選デビューをしたのだった。義憤に駆られ、市民を置き去りにして、役所と議員軍団の都合で進められつつあった合併論議に「それはおかしい!」と、立ち上がったのだった。
![]() 悪戦苦闘したが、結果は島原市・有明町の編入合併という結果だった。それから10年。済んでしまったことは仕方がない、と、現状に甘んじてばかりはいられない。むしろ反省の材料にしなければならないだろう。今晩はじっくり考えを整理したいと思う。 式典約1時間の前に踊りや合唱があって、島原出身のピアニスト前田拓郎君とゆりのちゃんのコンサートがあった。しまばらん手ぬぐいも貰えるとあって、雨にもかかわらずほぼ満席状態だった。 式典は全く想定内で、全然面白くなかった。当然いうべきことを市長が述べ、来賓も言った。関係者はその順番決めやら、席順やらでかなり神経使ったと思うが、実に面白くなかった。 この際、半島合併を目指しましょう!とか、長崎県を廃止して道州制を目指しましょう、とか、ハプニング発言を期待したが、まあそれもなかったし、想定内の穏当な内容だった。 式典後に落語(歌之助師匠)を配して観客を引き留める作戦はまあまあだった。 舞台の上の来賓は現在の人たち、表彰感謝状は合併後の人たち。観客席前方に当時噴火災害から引き続き合併に奔走なさった方たちが皆年老いてもシャキッとして座っておいでだった。感慨深いものがあった。 新聞に報道されるであろうから詳細は省くが、2点報告したい。大村市の新市長園田君も来賓で着座していた。両隣りの雲仙市・南島原市市長らと並んで。待ち時間に園田氏の快挙を讃え名刺を交換してもらった。 本編が始まる際、10年を振り返るスライドショーがあったが、そのバックミュージックは中島みゆきだった。 懐かしい人々 懐かしい風景~♪ ~麦は鳴き、麦は咲き~ というやつ。 関係者の皆様お疲れ様でした。司会進行も良かったよ。雨で外回り組、特にお疲れ様でした。 ▲
by mmatusaka
| 2016-01-17 17:59
| 島原半島は一つ
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2013年 08月 26日
2013/8/24 お互いジオパークを擁する地域として韓国済州島(チェジュ島)ジオパークと島原半島ジオパークが姉妹都市関係となった。
![]() 調印式に臨んだのは、こちらから古川隆三郎会長(島原市長が会長で、両市長藤原南島原市長と金澤雲仙市長が副会長)、向こうからキム団長。 (済州島は韓国直轄のような、県単位のような特別区のような、日本に対応する自治体単位ではない。こちらも三市による協議会だが、島と半島で地域連携だ。) サイン(調印)したお二人は男性だが、ジオパークは女性名詞なのか?姉妹である。 調印式は南島原市(深江)で行なわれた。会場に着いたとき、ちょうど僕の前にマイクロバスの御一行があって、その中にジオ関係の見慣れた顔があったので、ちょっと遊び心で「こんにちは」と言わないで「アニョハセオ!」と言ってみた。すると、その事務方の後ろにいた一行が「アニョハセオ!」と笑顔で返してくれて、韓国からの御一行だったというわけだ。顔だけじゃわからんなあ。 一行はすぐに会場の入り口を潜り、そこには古川会長らが待ち構えており「アニョハセオ!」の応酬となった。とまあ和気藹々であった。 来賓席はたまたま議席番号順で僕の席は1列目の真ん中で特等席だった。(写真)。懇親会は(別件で)参加しなかったのであるが、家に帰りついて驚いた。島原新聞は翌日の新聞を前日夕方に発行し、配達の関係で新聞社近辺は前日に届く。夕方4時すぎの調印の記事が6時頃だろうか?届いていたのであった。 例えばfacebookなどもあって、僕だって、facebookなり、本ブログで即時報告出来ぬわけではないが、新聞がここまで早いと「さすが新聞!」と賛辞を捧げたい。情報発信の仕方をいろいろ考えさせられる。やはりなるべく早く時事問題は扱いたいし、早めにコメントもつけておきたい。そしてしかも、きちんと説明になって、「普遍的な意味」(変わらない評価)も持たせたい。 ちょうどこの日は長崎県のキリスト教関連遺産が世界遺産の候補で一歩進展があったとの報道もあって、頑張っていた南島原市にも朗報であった。三人の市長の『半島は一つ』という協調精神が感じられる式典だった。 ▲
by mmatusaka
| 2013-08-26 20:48
| 島原半島は一つ
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2012年 10月 26日
「全国和牛能力共進会」というわけで、和牛見本市の全国大会(5年に一度で牛のオリンピックのようなもの)が長崎県で開催されている。県内では島原(半島)も誘致に奔走したが、結局佐世保に主会場を持っていかれ、島原はサブ会場ということで落ち着いたようだ。
県の職員及び誘致自治体の職員はもちろん、酪農関係の皆様にはお疲れ様、大会が盛会に終わることを祈念したい。合わせて開催県の牛が上位入賞を果たすことも期待したい。 ジオパーク大会の時も感じた辛口批評を今回も展開しておこうと思う。なんで役所のやるイベントはかくも面白くないのだろうか。入場料を取っていないのだから、誰も文句言わないと思ったら大間違いだ。使っているお金は税金だ。もう少しエンターテインメント(お楽しみ)を考慮に入れてはどうか。 昨日の佐世保会場開会に続き、本日の島原会場の開会式はあいにくの雨に降られて、駐車場の整理等に当たられたボランティアスタッフや関係職員にはお疲れ様。風邪など召されぬようお祈りしたい。 結構雨はひどくて、駐車場から会場まで、傘なしではずぶ濡れ状態。運転手つきの黒車で乗り付ける人はともかく、まずはスタッフにはお悔やみ申し上げたい。どんなに準備していても、天気だけは神のみぞ知る、どうしても期待通りの結果は出せないものだ。特に、お天気任せの集客は大変だ。 さて、もちろん屋外担当の人たちは、雨に備えて雨合羽の準備も整えられていたようだった。しかし、来訪者の傘の処理はなっていなかった。入り口の傘立ては数が不足。通常この手のイベントは、傘を入れるナイロン袋を用意しておくものだ。多くのお客さんが濡れたままの傘を手に持て余しておいでだった。(次回からは、雨の日を想定する際、ナイロン袋の用意をして置こう!) ![]() 議員として、案内が来ており、一応島原市(長崎県)においては力を入れているイベントなので、余程の別の予定が無い限り出席の予定だった。僕としてはそのオープニングに「瑞宝太鼓」の演奏があると聞いていたので楽しみにして、遅れないように会場に足を運んだ。 早めについたら、お隣の人工芝グランド等も視察しようと考えていたが、やはり「雨」で、予定より早くはならず、和牛会場に直行した。念願の「瑞宝太鼓」を堪能させていただいた。コンサートなら「アンコール!アンコール!」をやりたいところだが、彼らの後ろの舞台の幕の後ろには「本番」が待っているだろうからそうもいかない。 僕らのような役所?関係者以外はおそらく酪農関係者を主体とした市民であろうか会場はほぼ満杯でした。 太鼓が終わると、モノの10数秒で太鼓と演奏者は横に去った。「準備が整うまでしばらくお待ちください。」のアナウンス?なぜ?舞台に上がるべき人たちが会場で演奏を聴いていた気配はない。白バラ組も赤バラ組も 壇上に控えているはず、何の準備が必要なのか? ずい分、待たされた。何かトラブルかな?時計は見ていなかったがかなり待たされた。演奏が終わったら、すぐ開会式というストーリーのはずだ! ![]() 僕の予想は「遅刻者がいた!」ということだろう。機器の故障とかは考えにくい、そうしたトラブルならこの10分ほどで解決はしないだろう。こうした大きな大会になると、(会場に250人という主催者発表)1分の遅れは一人1分で250分の時間を奪うわけだから大罪である。 (間にこの20人の紹介を挟んで、都合5人が登壇するわけだが、その一部を紹介する;写真) 主催者挨拶(実行委員長:副知事) 名誉会長挨拶(知事) 地元市長挨拶(島原市長) 来賓祝辞(県議会議長) オープニング宣言(実行委員副会長:島原雲仙JA理事) ![]() そして、内容が重複したり、矛盾したりしないように、白バラ組の挨拶は調整しておくべきだと思う。 ところがどうだ、議長の祝辞は(重複は仕方ないとして)簡潔であったのに、白バラ組の挨拶の長いこと。幕が開くまでのトラブル(遅刻?)が何であったにせよ、セレモニーを取り仕切る担当は、白バラ組に「挨拶短縮!」を要請してしかるべきである。それとも、時間刻みの予定もなく、これくらいで終わるじゃろうの段取りだったのか?結局開会式は9:30終了予定が9:45となった。 後がつかえているんだよ!あんたたちの挨拶を聴きたい者はほとんどいないと思うよ。次の記念講演やシンポジウムがあるだろうが! 会場においでの方は気づいたでしょうが……このセンスの無いスクリーーンにはオッたまげたことだろう。顔よりでかい個人名!何か勘違いしてませんか?この演出を担当した職員(まさか専門の企画屋ではないだろうね?)のセンスの無さにはあきれ果てる。もし誰かが名前の文字をデカくするようにと指示したのであれば戦犯ものである。歴代優勝和牛の写真でも映写してはどうか。ぼくならそうする。 ▲
by mmatusaka
| 2012-10-26 16:24
| 島原半島は一つ
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2012年 05月 15日
ジオ国際会議、閉会式はうってかわって素晴らしかった。閉会式の半分は小浜中学校の吹奏楽団の演奏にあてられたのだった。感動の演奏であった。
![]() ![]() 商店街では算盤を横に置いて、もっぱらおもてなしに徹した感じであった。というか、島原人の良いところというか、成り行きで相手をしだすと、結構損得なしで対応してしまうのである。今回は特に商店街あちこちのイベントの担い手が趣味の会やボランティアの人たちだったから、明るくにぎわったのだった。 万町(アーケード)の中のお休み処(空き店舗跡)を、このたびYEG(会議所青年部)が手掛けるという。そこにあった手作りチラシに笑った。松坂が冗談で開発したゆるキャラ「ジーオ君の妹」が、当たり前のように使われていたこと。 彼女の名前、ジーコちゃん・地子ちゃん・ジーゴちゃん・ジゴちゃん、などなど提案していたのだが、どうやらこの会議期間中に本物の妹が誕生してその名も「ジーナちゃん」に決まったとか。 ▲
by mmatusaka
| 2012-05-15 19:12
| 島原半島は一つ
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2012年 05月 12日
いよいよジオパーク国際会議が始まった。一応議員として来賓として開会式に参列した。開会式の後が英語による?(翻訳レシーバーありということだが)基調講演、そして各種分科会会議となるらしい。
しかしやはりなんといっても、開会式が一番の見せ場だと思うのだが、主催者のあいさつが3人、来賓のあいさつが6人、9人中二人は英語。約一時間延々と挨拶だけで、つまらなかった。もう少し「演出」があってもよかったのではないかと、期待外れだった。 各挨拶者もさることながら、トータルで考えた時、観客の立場で考えた言葉や強調点はなかったのか?どうせ観客は主催者や来賓に気を使って、1時間を覚悟して座っているのだから、壇上の人たちは、徹底して会場を楽しませるとか、徹底して自分の主張を訴えてるとか、失敗を恐れず頑張ってほしかった。無難に失礼の無いようにと思うあまりか、結果として同じような言葉ばかりが並んで面白くなかった。 来賓の紹介に至っては面白くない!の極地だった。日本全国から多くの方を来賓に招き壇上に乗り切れない、会場の前半分は全員来賓なのに、どういう優先順位か壇上に登った20名ほどだけをわざわざ紹介する意味があったのか?事前に気付かなかったから、何とも言えないが、地元3市の議会は主催者側に回るべきで、来賓席に座る立場ではなかったのではないかと思う。 (以上は開会式での感想) ![]() ![]() 市民たちは懸命に歓迎のパフォーマンス。 僕ら森岳商店街も酒蔵を夜間開放してもてなした。町の北のはずれで来客数は伸びなかったが、訪れてくださった方たちは結構楽しんでくれたようだった。 ▲
by mmatusaka
| 2012-05-12 22:34
| 島原半島は一つ
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2011年 08月 25日
(さきの日曜日8/21のシンポの報告をしておこうと思う。)
![]() 「島原さらくプロジェクト」を念頭に置くようになって、この講演会は優先度を上げておいた。硬い内容で、あまり集客は見込めないのではないかと危惧していたが、そこそこの数の人たちが参加していた。観光ボランティアガイドのメンバーの方が多く参加なさっていた。(パネラーにお仲間の長谷川さんが出ていらっしゃった。)三市の連携ということで各自治体職員も多く参加していた。島原市議も数人出席していて、関心の高さに意外さを感じた。今度の九月議会、一般質問が集中するかもしれない。 ジオパークは世界遺産と違って、「手を触れないで保存」という感じではなく、観光などに役立てる方向での指定である。ただし世界遺産ほどの知名度や権威がない。カタカナ用語も難解なイメージが付きまといどこも苦労しているようだ。 元々半島の観光をどうするかは大きな課題である。この「ジオパーク」を機に大いに議論を尽くし、考えるいい機会である。 ▲
by mmatusaka
| 2011-08-25 09:34
| 島原半島は一つ
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2011年 02月 11日
島原半島は長崎県でも自殺率が高いらしい。実は自殺の判定は難しく、高齢者の孤独死も多いとのこと。昨日まで元気だったおじいちゃんが誰にも見取られることなく死を迎えるのはさびしいが、まだ事故死にせよ自然死にせよ諦めもつくが、検死に当たるお医者さんにとって、明らかに何週間も前に死亡していることがわかった時ほど無力感を感じることはないという。
孤独死をなくす手立てはないか、『高齢者なんでも相談所』みたいな場所なりグループなりができないか、元気なお年寄りが、ちょっと元気のないお年寄りを支え、若い人が仕事として支えるシステムはできないか。雇用も生まれるし・・・コレって民間だけでは無理があるな・・・などなど そこに地域包括支援センターなる、役所機関がある。しかしその存在はあまり知られていない。その中身を調べてみると、ぼくら未来につなぐ会の考え方に通じるものがある。 実は色んな場面で、何だ既にあったのか?と驚くことがある。思ったより行政サービスはきめ細かに作られている。知らなかったばかりに「正直者が損をする」ことも多い。知らなかったばかりに、受けられるはずの住民サービスが受けられず、結果餓死などしようものなら悲劇である。 島原の高齢化率は26%。(65歳以上が人口に占める割合。)島原の人口はほぼ5万人だから、計算は簡単だ。13000人が65歳以上の高齢者である。この人たちがすなわち、介護保険を受ける権利を有する。現在そのうちの約3000人が介護サービスを受けている。要支援2とか要介護3とか7段階に分かれるサービスを(審査の結果)受けることができている。 しかしほとんどの高齢者は元気で介護サービスを受けていない。その数が1万人だ。この1万人は介護予備軍だ。なるべくこの1万人には元気なままで過ごして欲しい。本音を言えば財政的にも3000人側に入って欲しくない。 そこで重要なのがこの1万人を対象にした「予防介護」である。その任に当たるのが「地域包括支援センター」である。平成12年スタートの介護保険制度は年々保険料の増加に悩まされ、「予防」こそ大事と平成18年から力を入れ始めた。(根拠法は介護保険法147条の2以降だ) 予備軍を元気なままでいてもらうことが目的であるが、その過程でもし介護サービスを受けるべきお年寄りを発見したら、すみやかに介護に移行しなければならない。ここで心配なのが「すき間」問題だ。介護に移行するのを少なく抑えようとして、1万人に接する中で、逆に介護対象を発見してみて見ぬ振りをしたりしたら本末転倒だ。 行政がこのすき間をきちんと守備に入れようとし、民間にすき間を埋めるボランティアが存在し、うまく連携が取れればうまくいく可能性はある。そのためには何が大事なのか・・・。 ▲
by mmatusaka
| 2011-02-11 14:04
| 島原半島は一つ
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2011年 02月 11日
『島原半島を未来につなぐ会』の勉強会で、自分なりに問題点を整理した。そして具体的に役所が作った『地域包括支援センター』という部署(組織)について研究をしているところである。
役所のタテ割りとはよく言われる。たらいまわしとも言われる。例えば70歳のお年寄りが振り込まれる年金から、国民健康保険税と介護保険料を天引き(自動引き落とし)されているとして、その内訳を知りたいとする。ところがその全容を説明してくれる所はあるのだろうか? 僕も今回改めて調べなおして、ようやくおぼろげに理解できたかな?という程度である。僕がそうであるように(あったように)多くの国民は役所からの請求書にほとんど疑いを挟むことなく支払いをしてしまう。 自動車免許更新の際、絶対払わなければならない更新手数料のほかに、任意で払っても払わなくてもよい「交通安全協会費」を「交通安全協会費2500円です。」と言われ、ほとんどの人が払っている現実。赤い羽根共同募金を町内会が集めて回ると、払わなければならないと思い込んで?ほとんどの人が応じているのである。 自分がお医者さんにかかるために必要な「健康保険証」を手にするために納めなければならないまさに税金として健康保険税を納税義務として納めるわけだが、それと一緒に請求される「介護保険料」が何なのか、ほとんど理解しないまま(一度は理解したつもりでも、あとは惰性の中で忘れてしまい)払ってしまう。というより自動引き落としされてしまうのだから、よほどのことがなければそのまま放置なのだ。 しかも問い合わせをしたくても、引き落とされる銀行に聞くのか、日本年金機構に聞くのか、市役所でいいのか、分からない。聞いていくと、それは国保に聞いてください、それはうちではありません、介護保険係か、広域圏組合事務所に聞いてくださいとか、たらいまわしの連続になる。まさにタテ割りである。そのタテ割りのすき間で市民は困り果てている。 すき間といっても、実はそこは連続している。(簡単に言えば向こうかこちらで対応するのである。)すき間で困っている市民を案内するのも役人であるはずだ。その経費が市民税から払われようが、地方交付税でまかなわれようが、介護保険料が当てられようが、健康保険税が財源であろうが、市民にとっては関係ない。介護保険担当が健康保険税の内容を説明してくれてもぜんぜん構わない。 「君は税務課(島原市では税務グループと呼ぶ)なのだから、保険税を回収するのが仕事で、その使われ方の説明をするのは越権行為だ。」などとひねくれイチャモンをつける市民はめったにいない。島原市の職員はそれなりにこのすき間の対応は頑張っていると思う。しかし現実には、市民はそのすき間で彷徨っている。 島原市で介護保険の対象者(一号被保険者と呼ぶ)はざっと13000人いる。そして、現実に介護保険のサービスを受けているのは約3000人、ということは1万人は3000人を支えながら元気にしているお年寄りということになる。この1万人は普段元気だから、困り果てるまで介護保険の制度があることさえ知らない場合があるというのだ。まさにすき間問題なのだ。その隙間を埋める一つの組織として「地域包括支援センター」を例に、考えてみようというわけだ。(つづく) ▲
by mmatusaka
| 2011-02-11 02:40
| 島原半島は一つ
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2011年 02月 10日
東京で、河村市長が小沢さんに会って連携を誓い合っていた頃、(2/8)僕は「島原半島を未来につなぐ会」の資料収集で、地域包括支援センターで聞き取り調査をしていた。
河村さんのニュースが流れているころ、久々の「島原半島を未来につなぐ会」では激論?を交わしていた。 ![]() 既報の盲導犬のおじさんの話が終わった頃、地元テレビは「島原城下ひなめぐり」をレポートしてくれていた。おととい収録の映像が流れていた。 ![]() ▲
by mmatusaka
| 2011-02-10 00:02
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