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2019年 11月 23日
![]() 小早川邸と堀部邸の共通点。敬愛する松尾卓次先生の第4回みらいキャンパス講義は、田屋敷地区の「小早川邸」で開催されたが、その第3回は万町の「堀部邸」で開催された。一番の応接室が二方向、庭に面している。庭には引き込まれた湧水が流れている。「四明荘」も同じ構造だ。 ![]() 島原市は、この素晴らしい財産をどのように活用するつもりだろうか。さて、今度11月26日(火)夕刻より、その万町堀部邸で「まちづくり講演会」を開催する。僕らは、この屋敷をうまく「まちづくり」に活用できないかと、これまでも何度か、あえて「堀部邸」でイベントを開催して、皆の気を引こうと仕掛けてきた。 コスプレ軍団も同様に、この場所を紹介した。島原城下ひなめぐりでも会場に選んだ。 そしていよいよ真打登場。今度はまさに、この堀部邸調査の第一人者山田由香里先生を招いて、「堀部邸」を語る。皆様にはぜひ参加していただきたい。 会場設営の準備のために、庭も覗いた。既に季節は過ぎて、モミジの色は醒めていたが、モミジの盛りだったら絶景で、すごくぜいたくな気分になれるだろうなと容易に想像がつく。 ▲
by mmatusaka
| 2019-11-23 01:16
| 商店街とまちづくり
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2019年 11月 22日
![]() 視察遠征から帰ってのちも、色んな報告会や講演会勉強会、いわゆる消化事業・行き掛かり上・呼ばれて仕方なく、ではなくて、いろいろ刺激を受けて考えさせられる。出来れば多くの皆さんと共有したい。 メモ: 11/16(土)島原みらいキャンパス:松尾卓次先生と小早川邸~街歩き) 11/17(日)石木ダムを断念させる全国集会in川棚(既報) 11/19(火)干拓地農業者と撤退農業者、諫早湾内漁業者の深刻な被害を聞く会 11/20(水)島原文化会館の存続を希望する会 それぞれに、きちんと報告をしたい重い中身がある。 そして今日(日付越えたかな) 11/21(木)ロケツーリズムセミナー(写真) 古川市長肝いりの取り組み(?) 先の『ガイアの夜明け』で特集された「ロケツーリズム」8月末の放送。登場自治体は、我が島原市の姉妹都市愛知県幸田町であったが、その一角にちゃっかり古川市長も(背景人物として)登場していた。映画やドラマの舞台になるロケ地を提供し、そのロケ地にヒトを呼ぼうという話。 かつては、大河ドラマを誘致しようなどという一攫千金宝くじみたいな話だったが、そこをやり方次第で何とかならないか、と。このSNS時代に合わせたようなマッチングサービス(ロケ地と映画ドラマ制作者を引き合わせようという) で、ガイアの夜明けは、そのマッチング仕掛け人が主人公だったわけで、その主人公だった女性が本日の講師というわけだった。 まちづくり(町おこし)の話は、例えば我々議会が実施する視察も同じで、その先進事例の評価は分かれる。自分たちの町には無理だねと諦めるか、これなら俺たちも出来るかもしれない、と腰を上げるか。 島原新聞君が取材してくれていたし、市の企画だから、近日、島原新聞や市広報でも報じられるであろう。 特筆すべきは、この手の講演会セミナーの参加者層が、いつになく若かったこと。平日の夕方(4時~5時:実際は6時ころまで伸びた)、勤め人は参加が難しいから、若者の参加はどうだろうという時間帯。様々な講演会勉強会企画の参加者は退職後の(意識の高い)高齢者が多数を占めるものと思っていたが、かなり若い人の参加が多かった。65の僕はいつもなら真ん中辺。 それが、最長老参加者という雰囲気だったのだ。寂しいような嬉しいような。 僕自身は、この新思潮(タレントさんの人気頼み、インスタ映え云々)に全面賛成というわけではない、これも最初の一歩、島原に気を引くきっかけ程度であって、まちづくりの本質は、結局本物を目指す正攻法でなければと思っている。 でも出来ない理由を探して、何もチャレンジしないよりは、先ず動いてみようという姿勢が大切だ。(若い人たちに)大いに期待したい。 ▲
by mmatusaka
| 2019-11-22 02:14
| 商店街とまちづくり
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2019年 10月 16日
![]() ![]() ![]() なんか例によって、忙殺されている。台風19号、日増しにその被害の大きさが広がっている。同時並行でラグビーワールドカップ、日本チームの活躍は被災者の気持ちを踏みにじることなく、逆に被災地応援に働いているような感じがする。 僕らのレンコン掘りもそんな位置づけで受け入れられれば幸いである。 五郎丸選手の忍法というか手合わせというか、あの独特なポーズとともに「ルーティン」というカタカナが知られるようになった。決められた手順というか、日課というか。日々の生活や仕事を確実にこなすための、軌道に乗せるための準備というか。 ラジオ体操などは、典型かもしれない。 レンコン掘り大会まで、毎朝「カウントダウン看板」の日付変更が、ルーティンに加わった。特別期間だけの日課をルーティンというのかどうか? レンコン掘りが終わって、平常に戻って、大手バス停の雑巾がけルーティンに戻る。バス停の背後、フェンスに覆われてかなりの期間が過ぎる。足場がはずされて、市役所新庁舎の全貌が見えてきた。 実は、ブログ更新もまた、松坂の(政治)活動のためのルーティンだったはずなのだが、なかなか、進まない。 ルーティンというからには、単純作業的な単調な決まりきった手順でなければならぬのだが、やはり物書きとなると、毎回違うことなので、ちと違うのかも知れない。 ▲
by mmatusaka
| 2019-10-16 19:31
| 商店街とまちづくり
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2019年 08月 28日
連日の雨。佐賀地方では大きな被害も起きているようだ。お見舞い申し上げたい。一方、おかげさまで、我が島原では大きな被害は聞いていない。今朝の新聞で、先日のイベント(森岳線香花火大会)を夏の終わりの風物詩として紹介してもらった。奇跡的にほんの数時間雨が上がり、線香花火も楽しんでもらうことが出来た。 ![]() ![]() ![]() 090-2587-4622。 天災は忘れたころにやってくる。自然に無理やり(機械や科学や、人の力で) 向き合わず、逃げる発想も必要だ。実はいじめとか登校拒否とかは天災ではないが、これとて無理せず対応したい。 夏休みの宿題が終わらなくて、「学校行きたくないなあ」と思ったら、たぶんそれは、宿題の方に問題があるかもしれない。近頃の教育現場は天災顔負けの人災だらけ、無理して学校に行くよりは、さぼって松坂のところに相談においでください。 ▲
by mmatusaka
| 2019-08-28 23:39
| 商店街とまちづくり
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2019年 07月 10日
![]() 大手広場に屋根のついたバス停がある。もの裏手は今市役所庁舎の建て替え真っ最中だ。写真の奥の方はその工事のために工事フェンスが張り出している。だから歩道が狭くなって窮屈になっている。 さてそのバス停ベンチ脇にあったものが姿を消した。何でしょう? 閑話休題。かつてはここにも、ごみ箱があった。 ![]() すでに市は、公園などからゴミ箱を撤去する方針だったので、ある日僕は、そのごみかごを、横にして転がして市役所敷内のごみ捨て場(旧館と別館の間にあった)にヨイショとばかり放り込んだ。誰が見ても、あのクスノキの下のごみかごだとわかったはずだが、二度とその姿は見なくなった。 クスノキの下に限らず、大手広場のあちこちにゴミが目立つので、僕らは小さなゴミ箱を設置した。(実は誰の許可も取っていない。)大手広場に面する僕の守備範囲が一番広く、タイヘンだったが、しばらく(数年)頑張ったが、とうとう、撤去に踏み切った。旅人がゴミから解放されるとか、感心な子供が拾ったごみを入れてくれればなどと思ったが、家庭の生ごみや、犬のふんなど、挙句は酔客の汚物。だんだん嫌になって来た。(ごみはゴミ箱へではなく)ゴミは持ち帰るという新しい考え方に抵抗したかったが、一方で、せっかくのごみ箱があるのに、不届き物のごみ捨てはゴミ箱のすぐ30センチのところでなされていた。僕らのごみ箱は、スチールの缶で火災の心配もなく煙草の吸い殻も歓迎するものであったが、たばこの吸い殻に至っては、相も変わらず、道端に投げ捨てて、火を消すために踏みつけるという常識がまかり通っていて、ゴミ缶設置の目的は達成できなかった。 そして、ごみは持ち帰るもの、という新しい考え方に乗り換えて、ごみ箱は撤去するに至ったわけだ。 ※当時の懐かしい地域誌「しまばら通信」。歩道を歩くかわいい女の子二人は、実は松坂の娘たちであります。 実は、同時並行で、バス停にだけはJTにもらった灰皿を置いていた。しかし情けないくらいに、喫煙者のマナーは悪く、せっかく灰皿があるのに、その周辺から吸い殻が消えることはなかった。 受動喫煙迷惑もあるので、せめて5区画あるベンチの端っこに、喫煙者を寄せて非喫煙者と区別を図るも、なかなか難しかった。もちろん灰皿を利用する喫煙者もいるのだが…… 近頃でこそ肩身の狭い喫煙者の数少ない聖地となっていた。最初の写真の奥の方だ。その前の歩道が狭くなって、通行人が煙に巻かれて、これはいかがなものかと考えた。 もともと、僕が勝手に無許可で置いていた訳なので、この度受動喫煙法強化に伴い、撤去した次第。どこか、喫煙者のために広い空間のある所に移設してあげようかとも思ったが、やめた。わかば写真館の前にも、縁台を置いて、屋外喫煙所を用意していたが、これを機に撤去した。 この機会に、喫煙者の皆様、健康のためにタバコをやめてはいかがか。 ▲
by mmatusaka
| 2019-07-10 01:34
| 商店街とまちづくり
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2019年 06月 19日
![]() 去る6月13日(木)地元住民に対して、初めて、島原城周辺の歩道整備及び無電中華事業に関する説明会が実施された。※中華→柱化……(-_-;) この件は、議会でも何度も取り上げられ、先の12月議会でも市長はその方針(計画)を明言し、松坂も『青草子17号』で大きく取り上げていた。 松坂報告においても資料(before~afterの写真)を駆使して、分かりやすく、肯定的に受け入れられるよう工夫をした。青草子を見た人たちはおおむね大歓迎の反応だったので、この度の説明会では地元からどのような建設的な意見が出てくるか期待して臨んだのだが……。 事業に対する不満を抱く人たちが少なからず存在して、その声が大きかった分、険悪なムードに包まれた。(地元町内会の会長たちに、近いうちに説明会を実施したい旨の事前説明はあっていたが、議会においても明言していたわけで、まあ、そうした予告編に気づかなかったことで、突然の話に思えた住民も多かろうと思うけど……) いきなり対決姿勢で「このような説明会を開く前になぜ地元に話をしなかったのか!」と。???、その(最初の)地元説明会じゃないか!その不満住民の剣幕に押されてたじたじの市当局。もっと毅然として、「だからこうして、まず地元の皆さんにお集まりいただいて、ご説明をさせていただいております。」と言えないのか? ボタンの掛け違えとはよく言うが、やはり第一印象は大きいと思う。例えば、これは窓口相談等の基本だが「お客様の要望をきちんと把握するために、会話は全て録音させていただきます。後ほど、直接詳しくお話を伺ったり、ご説明に上がることもありますので、初めに所属町内名とお名前をおっしゃっていただくとありがたいです。」など、断りを入れることで、固有名詞付きの責任発言になれば不満分子(クレーマー)と言えども、少なくとも過激な発言は冷静な発言に変換できる。そうした基本的な工夫が出来ていなかったのではないか?市当局にはそうした方法論を含めて反省を促したい。 いずれにしても、これまでと違った環境への適応を強いられる地元の反発や、思わぬ見落としはあるわけで、様々な意見はまずは真摯に受け止めるべきであろうが、それにしても「想定問答」ではないが、出てくるであろう質問はある程度予測できるはず。「一方通行問題」は必ず出てくるのは、まさに想定内であるはずだ。 否定的な(デメリットを強調する)意見を増幅させないためには、肯定的な(メリットを強調する)説明を用意しておかなければならない。そうした準備はできていたか? 民間なら、その商品を何が何でも買ってもらうために、なにがなんでもそのプロジェクトを成功させるために、様々な説明の工夫をする。そうした姿勢、覚悟が市役所の担当者にあったのか? 実は僕自身、「まずは相手の意見を聞くことが大事」という大義名分を隠れ蓑に、聞いたうえで、最終的には説得して、思い(理想)を遂げる。聞いたことを、うまく受け入れて、自分の持つ理想をさらに強化して更にいいものにする。という【意志】を忘れかけていないか?と。 なぜならば、突然降ってわいた説明に直観的に反応する(目先の=それはそれで切実だが)考えに対して、こちらは(松坂にしてみれば30年来、市役所職員にしてみれば、その仕事として)考えて研究してきた究極の最終案で臨んでいるのである。相手の意見を尊重しながらも、もっと自信をもって、熱く語る姿勢があっていいのではないか。と。 そんなことを思う地元説明会であった。 ※一方通行に出来るかどうかの実証実験(プランターなどで歩道と車道を分けて様子を見る)を、かつて提案したが、これについては、無用な実験かも、と思い至った。歩行者を大事にするという哲学があれば、おのずと結論は見えてくるのである。
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by mmatusaka
| 2019-06-19 03:03
| 商店街とまちづくり
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2019年 03月 01日
さる2/24(日)、島原中心市街地街づくり推進協議会で伊万里市を訪問した。事務局(雑用係)を引き受けているので、事前の段階でいろいろ情報も入るわけで、自分がいちばん恩恵を受けていると強がりを言っている。実際には総勢36名を誘導するだけで忙殺される側面もあるわけで、じっくり納得の研修にはなかなか到達できないのだが、それでも実り多い研修だった。
![]() ![]() ふと思ったのだが「観光客目線」を意識しすぎていた。市民目線でいいのだった。賑わっている店の大半は地元市民でいいのだった。地元市民こそ最大のリピーターなのだから。 ![]() ![]() せっかくなので、伝統的建造物群保存で元気な鹿島市「肥前浜宿」の街並も途中下車して視察した。3月の酒蔵祭りには二日間で8万人が殺到するほどらしいが、通常の日曜はホドホドの人出だった。せっかくなのに買い物できるのは駐車場そばの酒蔵さんだけで(一手販売の様相)あった。 それでも数年前の訪問時からは整備が進んでいた。 ![]() ![]() 一点反省。 情報は発信するところに集まるわけで、 自分の情報は発信しない限り、共有されない、自分の中でじっくり醸成させることはそれはそれで重要だが 不完全でも、最低限の情報発信は必要なのではないか。 僕らが、伊万里の『街なか一番館』を後にして、鹿島に向かう車中で、すでに早田さん(街なか一番館?)のFacebookは更新されていて、情報発信の大切さを再確認した。 長崎新聞の記者さんが、同行取材をしていただいた。公務としてではなく?休みを利用しての?自主取材のようで、長崎新聞伝統の『記者の目』で報じてくれている。この記者の目だけは(たぶん)デスクの指示とかではなく記者の自主性が尊重されているようなのだ。ありがたい。 ![]() ▲
by mmatusaka
| 2019-03-01 19:41
| 商店街とまちづくり
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2018年 12月 22日
![]() ![]() バランスを取る意味でも今日はもう一本ブログしよう。(日付変わったけど) 12/20の長い一日後半のことだ。 この日の議会は予算審査特別委員会、そこに既報の議会の発言ルールに関する議運が割り込んだ。状況次第で長引けばこの後(夜に)予定しているまちづくり講演会に影響する。
『リノベーションまちづくり』について伊万里市で頑張っている早田さんをお招きしてのまちづくり講演会だ。実現までに結構難産だったので、想定以上の素晴らしい講演会となって、久々に充実感を味わうことができた。
いろんな意味で綱渡りだった。
街づくり推進協議会は、僕のまちづくり人生の骨格をなす組織であり活動だ。噴火のあとの半世紀、僕のライフワークの大きな部分を占めてきた。無論、僕のまちづくりの中心は森岳まちづくりの会であり、森岳商店街だ。街づくり推進協議会はその一つ上のネットワークだ。この組織があったから運動を大きくとらえ、市全体、半島一つでの視点、さらに全国の地域おこしの中でとらえることができた。噴火災害からの復興を目指す、住民運動からスタートした愛すべき同志たちのネットワーク組織だ。(だった。) 役所から若干の補助金をもらい、ために商工会議所が事務局を受けてくれて、安定した運動を続けてきたが、マンネリと言われても反論できない新陳代謝無き停滞期に入りつつたった 会議所は別の理由でスリム化を目指し、事務局は引き受けられないと言ってきた。役所も今のままでは補助打ち切りにしますと。補助打ち切りが惜しいのではなく、島原の商工業に最も重要な組織であり島原のまちづくりに欠くことの出来ない団体だったはずなのに、会議所からも役所からも無用扱い? 行き掛かり上、事務局は民(みん)でやるしかなく一切合切の雑用がやって来た。もとより雑用はお手の物だったが・・・うまく若手に引き継いでやっていこうと(酒蔵運営に乗り出していた若者チャレンジ事業=観光ビューローの目指す歩行回遊型観光と重なる展開=)に期待したのも束の間、若チャレ事業は空中分解。その収拾対応まで迫られている。 結局、かつて森岳のまちづくり時代のように一から十まで手順を踏んでの作業。7月の総会で、今年は三つの提言をまとめるぞ!と打ち上げて、その時点でこの日の講演会は予定の行動。 違うのは、みな25歳年老いていること。かつての若者はもう前期高齢者の仲間入り。僕だけは議員職をいただき、引き続きまちづくりを続けているものの立場も変わっている。先に報告した通り、島鉄存続運動の延長で、今はイオン・バスターミナル問題も佳境に入っている。 リノベーションをテーマにすることは1年以上前から決めていたが具体的には決まらずじまい。(行動力が失せている!) 偶然も手伝って、とんとん拍子で講演会が実現した。2年以上前に鳥取市を視察で訪れ、Facebook友達を得たこと。たまたま別件で訪問した伊万里図書館で伊万里市のリノベーション取り組みを知ったこと。昨年北九州のリノベーション事例誘致を失敗したこと。たまたま電話で問い合わせた伊万里市職員が自ら、今回のNPO法人まちづくり伊萬里のメンバーであったこと。これらの偶然はすべて必然のようにつながった。 僕の悪い癖、自分で動くのが手っ取り早いので(器用貧乏)何でも独断専行、ところが今回頸椎手術、いつもなら20メートルのところにあるお隣万町商店街会長の店、ひょいと行って用を済ませるところを病室から電話、N君に頼み込んで伝書鳩のようなことをお願いする羽目に。市役所の若手職員(堀部邸プロジェクトチームの若手)が、こんな感じでどうでしょうと、今回の講演会チラシ原案を作ってくれた。(嬉しかった。)掃除は僕らがやるから治療に専念してくださいよ、とか。司会進行役は任せて!お大事にね。と。まさにケガの功名。 講演会の中身といろんなエピソードは稿を改めるとして、自画自賛かもしれないが最高の講演会になった。 激動の一日はこんな形で終えることが出来て、バランスが取れた。久々の楽しい充実の一日だった。
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by mmatusaka
| 2018-12-22 00:48
| 商店街とまちづくり
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2018年 12月 14日
僕のあれもこれもの混乱状態は何も今始まった事ではない。 やるべきことは無限大、出来ることは限られている。 そしてそこにやりたいことを考えると、大宇宙に投げ出されてしまう。市議モードの時は特にひどい。 自身の一般質問(12/12)で、首コルセットで登壇したいでたちをネタに、「首を痛めているがアゴは達者です!」と、議員の最大の武器「弁論」健在宣言をして、二つエピソードを紹介した。 ① (入院して)自分がいなくても、世の中は何もなかったかのように回っていること。自分がいなくては始まらない、と、肩ひじ張らなくてもよかった、と。 ② 歩けるけど両手が使えない患者と、手は使えるけど片足で歩けない患者が、助け合って二本の手と三本の足で上手に風呂に向かうシーン。単独では出来ないことも力を合わせれば出来るということで。 あとで考えれば、一つ目のエピソードは、質問構成上むしろ無い方が良かったと思うが、自分の中に自戒の念とか想いとかあったのかなあ。 具体的な目標があった。テーマを一本に絞って「交通まちづくりと島鉄」として、現在イオンとバスターミナルを分断している市道を付け替えて迂回させ、イオンとバスターミナルを一体化させてイオン存続を。というもの。 ある意味、この構想に反対勢力を形成するかもしれないと心配していた議会多数派。とかく商店とか企業が絡むと自己責任だの自助努力だのを持ち出し、行政が手助けすることはないと言い出しかねない、と。 だから、地域公共交通は行政も大いに関わるべき市民の問題であり、今回の問題は中心市街地ひいては島原市そのものの存亡に関わる問題であり、イオン存続は単純な周辺商店街の要望ではなく、市民の願いである。と。質問を組み立て、 イオン撤退かものうわさが出始めた2年以上前から布石を敷いてきたことだ。特にこの半年「島原中心市街地街づくり推進協議会」活動にも積極参加し、イオン存続は市民の要望であることの証明とその世論を強力にして、島鉄・イオンそして行政に、その声を届ける。と。 多分議会多数派の人たちにも市民からの声が届き良識判断が働いてか。僕の前日・前々日一般質問に立った多数会派議員の否定的ではない、どちらかというと中心市街地を守る見地から、「イオンとバスターミナルの間の市道をどうするのか?」の質問に「島鉄・イオン九州からも正式に要望があって、迂回路付け替えもある。推進したい。」と古川市長の明解な答えがあり、僕の心配は杞憂となり、既に大勢は決していた。 そういう意味で、今回の一般質問は(質問が多数派の逆鱗に触れて、意図しない思わぬ逆方向に向かうという)心配がなく、安心して臨むことが出来た。その分緊張感を欠いた感がある。翌日(12/13)議案質疑で、この案件とは全く関係ないが、まさに僕の質問が問題視され思わぬ紛糾があって、今の僕は心穏やかではない。 来週のまちづくり講演会を控えて集中しなければならない時期なのに、心配事ばかり。例によって、しなければならないこと、すべきこと、したいこと、優先順位を決めて片っ端から片付けるしかない。と、思いながら・・・ 目先しか見ない政権、島原。ここは、これはしないでほったらかすのも十年後二十年後を見据えたら正しい選択かも。すべきことを優先させたらしたいことは最後までできない。これでは心を失ってしまう。現状、病床にあることも歯がゆい。
体が動かないゆえに出来ることもあると言い聞かせながら・・・・・・ ▲
by mmatusaka
| 2018-12-14 12:00
| 商店街とまちづくり
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2018年 11月 16日
![]() 松倉氏というのは、松倉重政公、島原藩の初代藩主。400年前に島原に入封(前任地は奈良の五條)島原城を建てた人、島原の街並みを作った人だ。お寺さんは「江東寺」ねはん像で有名な商店街の真ん中のお寺だ。 築城400年を控えての情報収集を兼ねている。案の定、島原城の松尾卓次先生はもちろん、松倉史研究家でもある口之津資料館の森先生、教育委員会の学芸員さんたちも参列しておいでだった。お呼びではないかもしれないが、さりげなく彼らの会話の一角に場所取りして、関係者のようなそぶりで周辺をウロウロ。 ▲
by mmatusaka
| 2018-11-16 21:50
| 商店街とまちづくり
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