新・土佐日記:戦争と平和
2023-11-23T10:16:09+09:00
mmatusaka
記録
Excite Blog
沈黙は容認:パレスチナの子どもたちを救え!
http://mmatusaka.exblog.jp/33156269/
2023-11-23T02:07:00+09:00
2023-11-23T10:16:09+09:00
2023-11-23T02:07:58+09:00
mmatusaka
戦争と平和
日本ではなかなかデモ集会に人が集まらない。意思表示をしたがらない。
奥ゆかしい日本人は言わなくてもわかるじゃないか、常識なんだから。と。無言のうちに世論を形成していた。黙っていても、不正は許さない。えこひいきは許さない。弱い者いじめはいけない。食べ物を残すのはいけないよ、もったいない!と。
もちろん、優れた政治家は、自らの欲するままに行動しても、そのままそれは市民の望む幸福観に合致していた。いつの世もくだらぬ人間がいるようにくだらぬ政治家も存在する。そのような政治家でも、市民の沈黙が怖かった。(目に見えない)世論に配慮して、市民の望む社会を目指した。
いつのころからか(明治の頃?昭和の頃?)、日本が欧米の影響下に入ると、無言の世論を勝手に解釈するようになった。目先の損得しか見ない欧米かぶれの政治家たちはそれを合理主義だと胸を張って、自らの利権をむさぼるようになる。世論を180度真反対に解釈して、はばからなくなった。
雄弁か沈黙かと金銀を争うような価値観は何処へやら。沈黙はゴミ糞尿のような扱いだ。沈黙を破って声を挙げたら「治安維持法だ」などと、犯罪扱いするに至る。沈黙は美徳ではなく、恐怖政治(強い者たち)から逃れる術(すべ)になった。
誰が、いたいけな子どもや病人の集う病院の爆撃を許すものか!市民の暮らす長崎の上空に原爆を許すものか。しかし残念ながら、私たちの沈黙は「爆撃はしょうがない」であり「原爆もしょんなか」になる。 いやいや、私たちの沈黙は「病院でも民家でもどんどん爆撃せよ」「核を撃ち込め」と解釈する連中の背中を押すことになっていることに気づかなければならない。 さあ、声を挙げよう。戦争反対!と。
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無関心にNO!
http://mmatusaka.exblog.jp/33153147/
2023-11-19T02:29:00+09:00
2023-11-19T02:29:28+09:00
2023-11-19T02:29:28+09:00
mmatusaka
戦争と平和
覚え書きとして、いくつかリンク先を紹介しておこうと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=OHsZeSh2abU
そしてその中から、
https://amzn.to/3NKJsLv
アマゾンを利用する人で、アマゾンプライムに登録している人は動画の無料配信なども利用できることはご存じでしょうか?よかったら、このムクウェゲ医師のドキュメンタリー映画も見てほしい。
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一年単位のルーティン:原爆の日
http://mmatusaka.exblog.jp/33063695/
2023-08-09T22:59:00+09:00
2023-08-11T11:15:39+09:00
2023-08-09T22:59:18+09:00
mmatusaka
戦争と平和
ふたを開けてしまえば、長崎の平和記念式典は、十分に執り行うことができた。台風に過剰反応だったと思う。島原市も早々と登校日を取りやめた。(進路に重なった、五島方面の方たちには気の毒だが、それでも、時間的にも過剰な前倒しだった) 今晩(8/9)はさすがに雨風つよっくなるだろうと覚悟して(現実には、22時過ぎても、台風の気配も感じられない)今晩の会議を1日前倒しして、昨夜にした。天候は全くひどくはなく、むしろ涼しいぐらいだったが、役所のメンバーは、災害待機ということで、出席がかなわなかった。(実際には何も起きなかった。……さすがに今夜は、災害対応で、あちこちの避難所に配置されて頑張っているだろう。)
そんなこんなで、例年の霊丘公園(神社)の原爆慰霊碑式典もお流れになるのかなあ、と。それでも、この日「平和への決意」を確認すべく、霊丘神社に向かった。宮司さんが、奥様とお孫さん二人と並んで「慰霊の式典」をまさに家族だけで執行なさっていた。一緒に参列させてもらって、心温まる「平和への誓い祝詞」を聞かせていただいた。
その後11時2分のサイレン吹鳴時には、市長と一倉議員も参集、並び黙祷をささげた。
公的には、中止扱いの「祈り儀礼」だったわけだが、霊丘神社の宮司さん本人の強い平和への意思が伝わってきた。……このお孫さんたちは平和の継承者になってくれるだろうなあ、と。
毎年恒例の通過儀礼かもしれないが、欠くことのできない大事な祈りの日、大事な決意の日。だ。
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長崎県知事の弱腰
http://mmatusaka.exblog.jp/32712060/
2022-08-19T23:29:00+09:00
2022-08-23T10:49:18+09:00
2022-08-19T23:29:37+09:00
mmatusaka
戦争と平和
8月6日広島の日の式典で、広島県知事の言葉に感銘を受けたので、その文書を紹介した。人間らしく死ぬこと:湯崎英彦広島県知事の挨拶 : 新・土佐日記 (exblog.jp) で、長崎県知事はどうか、と、どうしても比較してしまう。長崎県に籍を置く一議員なので、仕方が無い。 本当に情けないほどに「弱腰」である。先般公約を守ろうともしない!と切り捨てたばかり。どうせ議会に邪魔されるにしても、「姿勢」ぐらい見せてはどうか。と。
岸田総理も「核兵器禁止条約」に触れることなく、逃げているが、代わりに「核兵器のない世界」という意志の伴わない掛け声を、何回も繰り返すことで「広島出身」をアピールしてごまかしていたが……
「核兵器は使用されてはならない」と、保有は認めるし、(非核三原則は、掛け声だけで、守られていないのは既成事実なので)佐世保に寄港する米艦に核弾頭が引っ付いていても見て見ぬ振りしますよ、と、核兵器容認姿勢。
まさに広島県知事が言った「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠する空想論。 9条で国が守れるなんて、空想に過ぎない、と、いかにも現実を踏まえていますよと言わんばかりの核保有論者たちを、それこそが空想だと喝破した。 何故、ここまで大石長崎県知事は弱腰なのか!国は国、長崎は長崎ではないか!国と地方は対等であるというそもそものルールを学習しないままに地方自治に関わっているのではないか?!
たぶん、以下の背景を理解しているとは思わないが、何らかの形で知事の耳にも届けばと思い、解説をしたい。 長崎県の意思決定機関である長崎県議会が「核兵器禁止条約」を否定しているからだ。(広島県議会の意志は未調査だが、多分広島県議会は「核兵器禁止条約」を肯定しているのだと思う。)広島県知事が県議会に背を向けてでも「核兵器廃絶」を訴えているならそれはそれで大いに評価する。 長崎県議会ホームページの、「定例会等の開催概要」をクリック。令和2年11月議会の「本会議」をクリック。そこに、県議会議員たちの意志が示されている。長崎県議会が、コロナに襲われたなか、異例の討論文書提出という(議会における討論は形式ですよ、相手の討論を聞いて、考えることはしませんよ、という議会冒涜を容認する証明になったことで、またも長崎県議会を落としめたあの事件!その結果とともに長崎県民を失望させたあの事件!)見づらいので、拡大切り張り。
12/18の事実が記録されている。島原選出の山本由夫県議は「核兵器禁止条約」に署名・批准はするべきではない、と「起立」しなかった。ついでに言えば、先般県議から見事参議院議員に転身した、同じ苗字の山本啓介議員も、座ったままだった事が分かる。
コロナ陽性もしくは濃厚接触者ということで、議場に入れず、意思表示出来なかった皆様の悔しさは、分かります。が、討論を文書で(しかも、採決後に)提出するぐらいなら、この際「賛成」「反対」の青票白票も認めてよかろうにと思わなくもない。
追伸:さらに言えば、長崎県議会は、県庁の移転に伴って、電子採決設備が整った議事堂に引っ越してずいぶん日が経っているのに、起立採決にこだわっていた長崎県議会の古い頭・固い頭。議会改革を求めたい。やっと、この頃電子表決に移行したようだ。]]>
翼を広げた折り鶴
http://mmatusaka.exblog.jp/32683032/
2022-08-10T02:16:00+09:00
2022-08-10T02:16:51+09:00
2022-08-10T02:16:51+09:00
mmatusaka
戦争と平和
今年も、平和への決意を確認すべく、霊丘公園(霊丘神社)の原爆慰霊碑に向かって手を合わせた。かつては島原の被爆者たちが主催して慰霊祭を実施していたが、被爆者も一人二人、鬼籍に入り、残された被爆者も高齢化で、この暑い日中、集まる事も叶わなくなった。
神社前の一角をこの慰霊碑に提供している、宮司さんが個人で慰霊祭を継続しておられる。この慰霊碑を建立した当時の市長だった鐘ヶ江管一氏が、例年高齢を押して参列なさる。古川隆三郎現市長も(長崎の平和祈念式典に代えて)参列なさる。僕は、市議代表ということではなく、被爆者であった父の遺志を引き継ぐ形で参列する。楠君が付き合ってくれた。同様の市民数名。(あとで聞くと、数日前「はだしのゲン」を見て、参列しようと思ってきたという若者もいた。)市役所の福祉課の職員が、その進行を手伝ってくれる。宮司さんの私的な行為であって、公的な行事ではないが、(実は、この慰霊碑は霊丘神社と島原市の敷地にまたがって建っている)公務となっている。
ロータリークラブの皆さんのボランティアで清掃された場所。霊丘婦人会の方たちが1年がかりで準備した折り鶴。(もう来年は折り鶴を奉納できるか自信がないとのこと)。
今年は、島原保養院(障がい者施設)のデイケア利用者たちが大挙して参列してくれた。羽を広げた千羽鶴を持参して。普段の活動で折りためた成果物と思われる。(介護施設の高齢者たちや保育園の子供たちが、運動を兼ねて公園などを訪問するように)この慰霊碑前に参集したのだろうが、いつもなら涼しい時間帯を選ぶであろうに、今日は明らかに11時2分に合わせてのハード企画。
慰霊碑の前にはテントが一つ張られていて、式典が粛々と進んでいる。この施設の皆さん約30名は、遅れてやって来て、遠巻きに離れて式典を見守っている。式典が終わったあと、千羽鶴を奉納するつもりなのだろう。
祝詞奏上のあと11時2分のサイレン吹鳴まで、しばらく時間があった。古川市長が背後のこの動きに気づいて、例によって「そんな遠くにいないで、こちらに来て、テントに入って、一緒にお祈りしましょう」と声をかけた。ぞろぞろ(という表現は失敬な気もするが)合流して、皆で黙祷をした。
※「例によって」は、状況に応じて柔軟に対応する古川スタイルのこと。
千羽鶴は綺麗に折られて、整然と羽を閉じて重なったものがもっぱら定番であるが、彼らの千羽鶴は、ちょっと不格好なのも交じって、しかも羽を広げて、鶴らしい。施設の人か?詞書を添えている『願い鶴、翼を広げ、平和を祈る』と。
その千羽鶴の前で、楠君と写メってもらった。
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人間らしく死ぬこと:湯崎英彦広島県知事の挨拶
http://mmatusaka.exblog.jp/32681103/
2022-08-07T22:35:00+09:00
2022-08-07T22:35:42+09:00
2022-08-07T22:35:42+09:00
mmatusaka
戦争と平和
テレビで、広島の平和祈念式典を視聴。広島県知事の挨拶に感銘を受けた。翌朝の新聞で確認しようと思ったが、案の定要約分も掲載されていなかった(西日本新聞の場合)。 ネットに、流れていたので、改めて読みなおした。なかなか素晴らしい。記録に残すことと、又少しでも多くの人に共有できればと思い、あえてそのまま、転載したいと思う。
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湯崎英彦・広島知事のあいさつ全文 本日、被爆77年を迎えるに当たり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に、広島県民を代表して、謹んで哀悼の誠を捧げます。 そして、今なお、後遺症で苦しんでおられる被爆者や、御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。 あの時、川土手で、真っ赤に燃え盛る空の下、中学生らしい黒い人形の様な人達がたくさんころがっていた。「お母さん」。その声もだんだん小さくなり、やがて息絶えていった。 生き延びても、孤児となった子どもは、転々と身を寄せた家に居場所もなく、廊下に風呂敷を置いて着替え場所とし、被爆者の病気はうつるなど、差別に苦しんだ。 被爆者が、人生をかけてまで核兵器の廃絶を訴え続けるのは、人間らしく死ぬことも、人間らしく生きることも許さない、この原爆の、核兵器使用の現実を心と体に刻みつけているからです。 その思いが原動力となり、今年6月、核兵器禁止条約第1回締約国会議が開催されました。被爆者の切実な思いが、世界をもう一歩前に進めた瞬間でした。 他方で、東欧では侵略戦争が勃発し、あまつさえその侵略国は、核兵器の使用も辞さないとあからさまな脅しを世界にかけるばかりか、当事者でない国の人々さえ、身を守るためには核兵器が必要だ、と言い始めています。 我々の多くが、侵略者の脅しが単なる虚勢ではなく、実際に核兵器が使用される危険として認識したのではないでしょうか。 つまり、核兵器は、現実の、今そこにある危機なのです。 ウクライナ侵略で世界が突然変わった訳ではありません。世界の長い歴史の中で、理不尽で大量の死を招く暴力は、悪により、しかし、時に正義の衣をかぶりながら、連綿と繰り返されてきました。現在の民主国家と言われる国でさえ完全に無縁とは言いにくいかもしれません。 人間の合理性には限界があるという保守的な見方をすれば、この歴史の事実を直視し、これからもこの人間の性(さが)から逃れられないことを前提としなければなりません。 しかしながら、力には力で対抗するしかない、という現実主義者は、なぜか核兵器について、肝心なところは、指導者は合理的な判断のもと「使わないだろう」というフィクションたる抑止論に依拠しています。本当は、核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです。 今後、再度、誰かがこの人間の逃れられない性に根差す行動を取ろうとするとき、人類全体、さらには地球全体を破滅へと追いやる手段を手放しておくことこそが、現実を直視した上で求められる知恵と行動ではないでしょうか。 実際、ウクライナはいわばこの核抑止論の犠牲者です。今後繰り返されうる対立の中で、核抑止そのものが破られる前に手を打たなければなりません。 地球温暖化は200年、パンデミックは2年超かけて、人類の持続可能性に疑義を突き付けました。核兵器は、誰かがボタンを押せば、人類の持続可能性は30分かもしれません。 核兵器廃絶は、人類の持続可能性のために最も喫緊の課題であることを認識し、最後の核弾頭が解体・破壊され、この地球上から核兵器が完全になくなるまで休むことなく全力を尽くすことを改めてここに誓い、平和へのメッセージといたします。令和4年8月6日 広島県知事 湯崎英彦*************************************************
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はだしのゲン:文化会館大ホール
http://mmatusaka.exblog.jp/32678772/
2022-08-05T11:37:00+09:00
2022-08-05T11:37:53+09:00
2022-08-05T11:37:53+09:00
mmatusaka
戦争と平和
島原市民劇場の8月公演『はだしのゲン』、8月4日夜、島原文化会館。今年も(77回目の)ヒロシマ・ナガサキがやってくるわけで、この時期にこの公演を企画した意味は大きい。 僕自身の中では、既にその意義は十分理解しているつもりなので、知らない人たちに、ぜひ考える機会になればと思いながら。原爆の非人道性、その実態、歴史背景。自らその中味を知ろうともせず、無批判に、核兵器禁止条約なんて無意味だという自民党政治家の言い分を鵜吞みにしている人たちに、もう一度考え直してほしい、と思う。
そう思いながら、自分の中では、あまりに当たり前のことで、今回の公演も、手帳に予定として入れているものの、ほかの事※に気を取られているうちに、気が付いたら、もうその時間だった。
※市役所公金不正問題の追及、通学路の安全問題対応など
遅れて入場。コロナ対応で、座席は一つ飛ばしになっているものの、そんなコロナの時期にもかかわらず、かなりの観客で埋まっていた。基本的に「市民劇場」は会員制なので、七百名弱の会員の閉鎖系。もっと多くの人たちに、広がればなあ!と思う。演劇文化の問題、文化会館という文化施設の問題は、今回は置いといて……。
『はだしのゲン』は、いまや原爆問題を考えるときの、基本資料。多くの人達が一度は耳にしたことのある作品名だ。原作は漫画だが、テレビドラマや、今回のような演劇など色んな形でカバーされている。何らかの形で、ゲン少年のヒロシマ体験を見聞きした人も多いと思う。
史実に基づいた芝居のつらいところは、
病気のお母さんに池の鯉を盗んで食べさせようとする母親想いの兄弟もまた、否が応でもその日(1954/8/6)の朝、ピカドンに巻き込まれる。細かいストーリーまで把握しないでの観劇だが、ああ、この家族のだれが、どんな形で死んでいくのかと。SFのように、奇想天外にウルトラマンがやってきて、救ってくれることは期待できない。その忌まわしい運命をどのように乗り越えるか。に、かかってくる。
僕もまた、被爆二世として、長崎県の市議会議員として、平和を願う一市民として、それなりに掘り下げて勉強もしてきた自負もあるが、いろいろ知ったかぶりをして、お恥ずかしい限りだ。
考えてみたら『はだしのゲン』は(原典を読んだかもしれないが、人に説明が出来るほど、きちんと記憶にとどめているわけではなく)断片的にしか認識していない。
終幕辺りで、ナレーターが、その後ゲン少年は漫画家になって~と、後日談を紹介。そこで初めて、ああ、このゲン少年は作者=中沢啓二自身だったのか!と思い至った。そして、『はだしのゲン』はまさに、中沢氏自身の体験だったのだと。
昨今はインターネットが普及しているので、簡単にその概要が分かってありがたい。改めてその偉業に敬意を表したい。被爆時小学一年生だったわけで、今はもう故人となっておられる。(多分その時はニュースにもなり、そのニュースにも接していたとは思うのだが、改めてその冥福を祈りたい。)
氏の自伝的漫画『はだしのゲン』が少年ジャンプに連載されたのは1973年頃との事、のちに単行本になった後評価が高まってきたとのこと。少年ジャンプは僕の愛読誌ではなかったので、記憶はあいまいだが、スポ根全盛の時代に、ちょっと毛色の違う珍しくシリアスな漫画で、(いい意味での)違和感を感じた記憶がある。あとで聞けば、その作品の扱いについて、色んなエピソードがあるようだ。ともかくも、結果としていい仕事を遺してくれたのだと思う。
今年もまた原爆の夏がやってくる。
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島原でも200人!
http://mmatusaka.exblog.jp/32514268/
2022-03-06T22:56:00+09:00
2022-03-06T22:56:09+09:00
2022-03-06T22:56:09+09:00
mmatusaka
戦争と平和
急な声かけにも関わらず、3/5市役所前の『ロシアは侵略戦争をやめろ!島原集会』には200名もの市民が参集した。声をあげなければ、届かない。こうした抗議行動、デモに市民権が与えられつつある。通行人や車からの視線は、いつになく好意的だったような気がする。 西日本コラムは適切な分析をしている。
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戦争に突き進む狂気
http://mmatusaka.exblog.jp/32512209/
2022-03-05T01:06:00+09:00
2022-03-05T01:22:45+09:00
2022-03-05T01:06:00+09:00
mmatusaka
戦争と平和
なんか変だ。猫も杓子も(ねこもしゃくしも?)ロシア批判。世界中から、このたびのロシア(プーチン)の暴挙に抗議の声が上がっている。
(安倍政権の強引な憲法解釈変更以来、続けている毎週第3土曜日の『憲法を守ろう!島原平和集会』のSさんから、「声をあげないといかんでしょう!すぐに抗議集会を開きましょう!」と。マンボウの最中で、そのための打ち合わせの場所も未手配だけど、と。
既に、報道ではロシア批判の記事があふれ、世界中から抗議の声。近いところでは、平和祈念像の前での抗議集会の様子も。島原からも声をあげよう!というのは(いつもながらSさんの意識の高さと行動力を物語っていて)当然の流れ、すぐに3/2夕方うちの2階でいいですよ、と応じた。
3月議会が始まってしまい、僕にとってはこの3月2日(水)しか、県知事選会計責任者として、県選管に「収支報告」を持ち込める日はなく、超ハードは承知であった。その翌日3/3の一般質問の準備はもちろん、この収支報告書づくりも未完のままで、既に3/2は夜商店街の会議も招集をかけていた。
ほとんど徹夜状態で(知事選期間中も、連日の徹夜状態だったが、その総集編!?)収支報告をつくり、島鉄列車に飛び乗った。列車の中でも報告書を作り続けて、昼食も摂れずに県選管に乗り込む。最低限の要件を満たして、義務を果たし、のぼりのカモメに飛び乗った。コンビニの赤飯おむすびで、この小さな快挙を祝った。 島原に戻るや、「この抗議集会」を巡っての真剣な議論。息つく間もなく、商店街の会議=これも実は超重要事項。
冒頭島原新聞の告知記事に至る「記者クラブ投げ込み文書」を一般質問原稿と並行して準備、3/3、告知文書を、記者クラブに投げ込み議場へ。一般質問(僕の出番は午後からだが)、トップの自民党議員から、冒頭ロシアの行為に対する抗議。答弁に立った古川市長は、先ほどロシア大使に対して抗議文を送り付け、その報告を記者クラブに出したばかり、と。
長崎市議会などは、早々と抗議決議をしていたわけで、市議会として市長に後れを取った議長は、急遽「決議」で追いかけた。そのギウンの際、決議文案を巡って、若干の紛糾があった。核兵器の認識を巡って。僕らは『核兵器をちらつかせての威嚇』への抗議を強調したいのだが、そもそものロシアの侵略が許せないという自民軍、その批判の対象はけして一枚岩ではないのだが、全会一致でなければ意味がない!という一点を譲らない。
なんか違うなあ。と、思う。まるで全体主義だ。核兵器禁止条約が国際法になり、日本も署名批准すべきの決議には、後ろ向きどころか、「国際平和を保つためには、核兵器は必要」とまで言い切り、反対した人たちである。
このたびの暴挙、アメリカではなく、ロシアがやったからなのだ、と思い至った。
何年か前、イラクに大量破壊兵器があるとして、アメリカが侵略行為をしたときはどうだったか。島原市議会よ、あなた方は、アメリカに対しても同じことが言えるか?!
ロシアに対する抗議決議は全会一致で可決した。議長に通告して、異例の賛成討論をした。「国際法を盾に、ロシアを非難するのであれば、既に国際法になっている核兵器禁止条約の遵守も求めるべき!」と。
ともかくも、このたびのロシアプーチンの暴挙は許されない。プーチンはウクライナにナチスが居ると言っているが、世界は既にプーチンにヒトラーを重ねている。ヒトラーをたたくためなら、アメリカほか核保有国が核兵器を背景にロシアに攻め入ることも容認しそうな勢いだ。怖い怖い。
ウクライナ国旗の青と黄色。青は青空であり、黄色は実り(秋の穀物)とか。自民の人たちも戦争を憎み、平和を願っての全会一致。願わくば、核兵器に頼らない世界平和にお付き合い願いたい。
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非核宣言都市島原
http://mmatusaka.exblog.jp/32271111/
2021-08-18T01:22:00+09:00
2021-08-18T01:22:16+09:00
2021-08-18T01:22:16+09:00
mmatusaka
戦争と平和
図書館前のロビーで『原爆写真パネル展』をやっていた。どうやら毎年この時期に、平和教育の一環で開催しているようだ。いいことだと思う。『非核平和都市宣言』文も掲示してあった。 戦後50年の節目に、(議会で)決議したのだろう。議会ではどのようなやり取りがあったのか、全会一致だったのだろうか?市長や教育長はどう思っていたのだろうか。速やかな核兵器の廃絶を求めている。 その一方で、先般より嘆いているわけだが、いよいよ核兵器廃絶に向けて、具体的な第一歩が、国際法『核兵器禁止条約』の発効という形で実現した。 この宣言文の流れで行けば、当然、広島市長・長崎市長同様、政府に対して一日も早く、この国際法に署名・批准を求めなければならないのだが、島原市議会は核兵器禁止条約に背を向けている現政府を応援支持し、日本政府は署名批准の必要なし!と決定しているのである。 先般、市政報告会『まちカフェ』で、平和大行進のイベントに島原市議会だけが背を向けている。(正確には、餞別を渡して、応援メッセージ文も付けておりながら、行進の旗に下げるリボンだけは拒絶しているのだ。)
おそらく、現政権(スガ政権)に対する、忖度・遠慮であって、本心からの反対決議ではないと思う。
と、評価を付けて解説した。
「松坂さん、それは違うと思う。本心は賛成だけど、行動は反対、というのはその反対した議員に対して失礼ではないか。」と。市民からの指摘があった。
核兵器をちらつかせて、戦争を抑止するという。それを「積極的平和主義」というらしいが、そのような平和主義者にとって、『核兵器』は禁止すべきではない、積極活用すべきモノなのだろう。
島原市議会で、再度、同じ内容の「非核平和都市宣言」の決議を求めたら、同じ結果が出るだろうか?
アメリカはアフガンから撤退したようだが……
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深掘りレポ:国民平和大行進
http://mmatusaka.exblog.jp/32244752/
2021-07-29T11:49:00+09:00
2021-07-29T15:15:58+09:00
2021-07-29T11:49:36+09:00
mmatusaka
戦争と平和
今流行りの、SNSとか活用して~とか思いながら、ググって(ネット検索)見ると、きちんと情報発信がなされていた。皆さまも「国民平和大行進」で検索してみてください。で、結構地道に本格的な活動だったのだなあと驚くわけです。
いわゆる共産党系の人たちも中心的役割を果たしているようで、この日のような(対市長・対議長への要請)行動には、共産党市議も関わっているのかもしれない。(南島原市の共産市議、近藤一宇さんが:別団体関係であったが:参加しておいでだった。)
近藤議員と話していると、「(過去の行動において、今は亡き島田一徳議員が、べらんめー口調で話していたなあー」と。
(昨報の写真と逆方向:写真右下のカラフルなリュックが僕の存在証明)代表が「平和行進」の趣旨を説明しているところ。市長・議長それぞれ(代理ではなく)本人が対応してくれた。新・馬渡議長の向こうには議会事務局長も記録のために控えている。なるほど、肩書を添えた要請行動だと、議長は公式に対応することになるわけだ。
昨年、コロナ禍の中で行進が実施されたのか中止されたのか未確認だが、(昨年は生田議員が議長だった)今年の行動は特に「核兵器禁止条約」が発効し「核兵器の使用は人道上許されない」ということが国際常識になってのちの行動だから、今までとは勝手が違う。
これまでなら、一般常識的に「核兵器廃絶・平和を訴える」なら、積極的に応援しましょう!と各自治体の長も議長もすんなりメッセージを寄せていたわけだが、今回、市長に比べ議長のメッセージは何ともあいまいな言葉だった。
そして、例年平和行進の旗に取り付けられる、応援バナーリボン。非核平和都市宣言をしている島原市の長(古川市長)はサインをくれているが、馬渡議長のそれは存在しない。 この日の行動は3連荘で、雲仙市~島原市~南島原市。このあと順調に行って、南島原市からも2本のリボンを確保しただろうと思われる。島原市だけが、1本だけ。残念ながら、馬渡島原市議会議長の名前は見つけられない。期せずして、雲仙市議会議長の松尾文昭氏も島原市議会議長馬渡光春氏もともに被爆2世である。
このリボンにある【日本政府は核兵器禁止条約に参加を】があるために、島原市議会の総意は「国に対して、核兵器禁止条約に署名・批准を求める」決議を否決しているから、サイン出来ないということのようだ。議長の心中や如何に?
こんなことでいいのだろうか?いつまで続く?安倍菅政権への忖度。
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憲法を守る平和集会:福島みずほ来たる!
http://mmatusaka.exblog.jp/32194202/
2021-06-22T19:15:00+09:00
2021-06-23T00:46:28+09:00
2021-06-22T19:15:48+09:00
mmatusaka
戦争と平和
さて、6/19土曜日の事。午後いつもの(月に一度の)「憲法を守る平和集会」だった。急きょ、社民党党首福島みずほさんが来る!との情報が入って、アイドル追っかけ的、ミーハー松坂であった。再会である。初対面の頃のことを思い描いた。
年のころは僕に近いのだから同級生世代なのだが、おねーさんのようでもあり妹のようでもあり、僕はもう少し大きい(背が高い)と思っていたが、初めて会ったみずほさんはちいちゃくて(大変失敬な表現だが)かわいかった。13年前。2008年のことだ。背中がすっと伸びて、例のはきはきした声で快く対応していただいた。「諫早湾干拓事業」の件で、弁護団の皆さんと要請行動、衆参の議員会館を巡り、みずほ議員の部屋にも挨拶に回った時だった。多分その時の衣装もピンク系だったと思うが、記憶の彼方である。
本ブログでも、2008年1月に集中して東京レポートを残している。当時の農相谷津義男さんのとこも回ったのだが、谷津さんのことが昨日6/21、期せずして西日本新聞山本淳文記者によって「デスク日記」として紹介があり、この時の東京訪問と重ね合わせながら、本日の一般質問でイサカン問題を取り上げる際、朗読させてもらった。
(大変恐れ多いのだが、みずほさんは松坂の超タイプ!でもかっこつけて、憲法を大事にして、石木ダム問題など頑張っている地方のおじさん議員を演出した。)握手は許されずグータッチだったがドキドキだった。交換した名刺は、二つめ目の宝物だ。 この市民集会、「憲法」を守る!という意味で、まさに社民党福島みずほにふさわしい!そもそものきっかけが、もう5年前になる。安倍政権の、憲法拡大解釈「集団的自衛権」を容認する「安保法制」強行。以来日本は戦争ができる国になって、世界からの「平和国家」としての信用を失墜し、アメリカや中国やフランスと同じように、普通に戦争ができる国家に成り下がってしまったのだ。
今回の集会の一番の感動は、配られた資料だ。 K先生の労作である。一連のこの安保法制の強行採決は違憲である!という違憲訴訟を取り扱った書物『安保法制違憲訴訟』。かの伊藤真先生らの著作の要約版。この一冊の新書を読み込んだK先生が大事なところを抜粋要約したもの。切り張りではない。ワープロで打ちなおしたものなのだ!A4で10枚に及ぶ。恐るべき!
僕はもう、その恐るべき忍耐力に脱帽だ。先生の想いを、平和を希求するその願いを無にするわけにはいかぬ。決意を新たにするのであります。
この本のことは既に6月8日の『新・土佐日記』で触れています。再録します。読む(べき)本が多すぎる。
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『核兵器禁止条約』発効
http://mmatusaka.exblog.jp/31958547/
2021-01-22T22:38:00+09:00
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mmatusaka
戦争と平和
核兵器禁止条約に署名批准を求める意見書を決議して、今日の条約発効を祝いたかった。残念ながら、否決された。 反対する議員たち、同席している市役所執行部の人たち、傍聴席にいる人たち、ケーブルテレビやネットで視聴している皆さんと、少しでも中身を共有しようと、丁寧に説明を心掛けた。長い説明は伝わりにくいと考え、問答式になるよう、手分けしてQ&Aをシナリオしたが、要点だけのシナリオなので、結構苦労した。
反対陣営から、提案者を困らせる質問もあるかと思いきや「政府の核兵器廃絶に向けてのどのような努力をしているか」など意味不明な質問「ほとんど何もやっていない。」と答えて反発を買ったり、「隣国からの攻撃を核の傘無しでどのように守るか?」など、抽象的な言いがかり。丁寧に答えたつもりだが……
あとで考えると「ああ言えばよかった」「こう説明すればよかった」「もっと単純に言うべきだった。」「枝葉の説明が過ぎた」など後悔ばかり。まあ、もとより、結論は見えていた。なぜかものすごく疲労感が残るやり取りだった。
小手先ではなく、「心で訴えたい」のだが、議会の慣例しきたりで、「賛同議員が何故質問するか?」とか「提案者は討論するな」とか、変なところに気を使わざるを得ず、苦労した。
準備段階で、資料(会議録)収集にまでブレーキがかかるなど。本来の議論以前でストレス。本気で「戦争と平和」を語ろうではないか。
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再度『核兵器廃絶を訴える』:立ちはだかる情報公開制限
http://mmatusaka.exblog.jp/31954915/
2021-01-20T19:39:00+09:00
2021-01-20T19:39:24+09:00
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mmatusaka
戦争と平和
市長選挙事情で、島原市議会は、12月定例会が約1か月ずれ込んだ。明日1月21日が最終日(議決日)となった。例えば、コロナの影響はかなり大きい。想定していた事業はあれもこれも中止延期、ひと月前なら通過していた議案も、ちょっと待て!ということにもなりかねない。議会の臨機応変度(素早い決断や、過ちを改めるに憚ることなかれ)が問われる。
さて、くしくも議会最終日が、『核兵器禁止条約』発効の前日に重なった。国防のあり方、「平和」維持の考え方、色んな考えはあろうと思う。理想は理想で持ち続けていいが、これまでの経緯もある。『核兵器禁止条約』に後ろ向きな政府方針に、僕は賛同しかねるが、百歩譲って、歩み寄る。政権の言い分は本気か(本気ではない)建前か、いずれにせよ「核保有国と非保有国の橋渡しをして、究極的に核兵器廃絶を目指す」なら、この条約発効が最後のチャンスではなかろうか。
私(たち)は、再度、『核兵器禁止条約への署名・批准を求める決議(案)』を提出した。
正確には『核兵器禁止条約の実効性を高めるための主導的役割を果たすことを求める意見書について』
松坂が、提案者として、登壇することになった。1年半前も(9月議会で)、国に対して署名批准を求める意見書を!という請願の紹介議員として、訴えた。ローマ法王が来日する情報があって、その機会に乗じたが、届かなかった。
その後、2回チャレンジしたが、自公軍団はかたくなになって、反対票を増やすスパイラルに入っていった。その当時36か国だった批准国は着々と増えて、ついに昨秋50か国を数え、国際法として成立の運びとなった。日本は又、国際社会から取り残されてしまった。
そもそもの『核兵器禁止条約・本文』、関連して『日米安保条約』や『非核平和都市宣言文(島原)』などの基礎資料、過去の議会会議録を再度読み込んで、点検した。本ブログ『新・土佐日記』の検索欄にも『核兵器禁止条約』を入力すると。27の記事が出てきた。代表的な記事をプリントアウトして、整理した。
安保との関連や(非核三原則との関連)、INFのことなどに触れていた記事が見つからず、そういえば、最初の紹介の際、「総務委員会で丁寧に説明していた」記憶があったので、まずは本会議会議録で、委員長による「総務委員会での審議の報告」を読み返すが、ほとんど省略された報告だ。
で、議会事務局にお願いして、当時の「総務委員会」の会議録を求めた。
いつ頃からこんなに厳しくなったのか知らないが、議長決済がないと議事録は渡せないと言う。15年前は、勉強熱心な議員の要望にすんなり応じて、会議録をコピーしてくれていた記憶があるのだが、(情報公開のルールもやかましくなり)委員会の情報は(議員の閲覧までは慣例で?認めるが、コピーとなると議長決済?場合によっては議運に諮る?)出さないのが原則になったようだ。
仕方がないので、議会事務局まで出向いて、1年半前のやり取りを閲覧確認したが……。僕は、市役所に近いからいいが、有明や安中の議員はどうだろう。今時、メールやネットで簡単に共有できる情報を、何で。このままでは、閲覧も許可制ということになる日も近い。(一般の人は、閲覧も「情報公開請求」が必要だ。)
実はこの時の議会(別件で)「委員会は密室だ!」と批判して、委員会を侮辱する発言として懲罰にかけられた、あの苦々しい議会である。
さあ!明日もがんばろー。
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失望の長崎県(議会)
http://mmatusaka.exblog.jp/31902948/
2020-12-20T23:06:00+09:00
2020-12-20T23:16:11+09:00
2020-12-20T23:06:09+09:00
mmatusaka
戦争と平和
核兵器禁止条約の署名批准を求める決議。先日の議運の変化を『憲法を守る島原平和集会』(12/19)で報告させてもらいました。前日の、西日本新聞の記事のことにも触れさせてもらいました。(この件は、稿を改めて報告しますが、現在に至る石木ダムの暴挙、新幹線長崎ルート、裁判所の判決=開門命令を無視するという三権分立を蹴散らす長崎県は、安倍政権の一連のデタラメのオンパレードの原点であること。普通「原点」というのはイイことに使う言葉だと思いますが……)
大村市議会も、14対10の僅差ではありますが、核兵器~の決議が可決したという事です。
この集会に並行して、前日の県議会の中身が届きました。県議がコロナに感染したことは、これも色々言われて気の毒ですが、結果として、十分な論議のないまま、「核兵器~」が賛成少数で否決されたとのこと。
まったくもって。許しがたい暴挙です。島原選出の県議は「核兵器禁止条約』には賛成したのでしょうか。新聞報道では詳細は分かりません。それとも、コロナ感染した県議の濃厚接触者関連で議場にはいなかったのでしょうか?
行政のデタラメを質すのが議会のはずですが、長崎県議会もまた(総体として)輪をかけてデタラメです。今回のコロナ感染、こればかりは目に見えないウイルスが相手で、「運」もあると思いますが、実に分が悪い。ただでさえ勉強をしない県議たち(←全員とは言いません)は、私生活もデタラメなのじゃないか、そんな風だからスキが出来てコロナが入り込んだのでは?と思ってしまいます。
こんなこと言うと、不運にも自分が感染したら、ブーメランで戻ってくるわけですから、批判しないに越したことはないわけですが、発熱の翌日も会食したとのこと、批判は免れませんね。
先ほど、長崎県24名最多タイの報道(12/20)。大丈夫でしょうか。心配です。
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