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2016年 11月 01日
![]() ![]() ![]() 今回改めて、「視察研修」を振り返りながら自分の姿勢を戒めている。あそこで、あと一歩踏み込んで路地裏まで見ておけばよかった。事前にもう少し調べて置けば、右の施設ではなく左の店舗を調査したのに。と。まあ。反省は毎度のことながら、自分の中のマンネリ化に危機を感じている。とはいえ写真は面白いもので、現場で見落としていたものが映っている。 かつて宮崎県の飫肥城と商店街の視察をした時(まちづくり仲間と参加)、飫肥城のすぐ横に駐車場を整備したために、いわゆる「門前町」として賑わっていた街並みがさびれているという状態だった。一方、門前町といえば、浅草か出雲かといわれる。その出雲で駐車場を社と通りを隔てた反対側に整備しなおすことで息を吹き返した。という話を聞いていたのだった。 だから、出雲に行ったら、その駐車場と社の位置関係を(実際に歩いてみて)確認するのは最低限の基本課題だった。 島原城天守閣前に駐車場を作るべきでなく、街なか(駅とか大手広場とか)に作って歩かせるべきだという仮説:シュミレーションは有効か?の検証。 しかし、一方で、相手は20万都市で人口規模が違うし、何せ年に1回日本中から800万柱の神様を集める吸引力を持った出雲大社では、隔たりがありすぎて参考にはならない。と、諦めムードがあった。無意識で出来ない理由を探していたのではないか?! その分熱意薄く、積極的に見よう!ではなく、まあ教養・知識としてニッポンの常識として出雲大社も観ておこうかな。と、受け身的になっていたのではないか。島根に詳しいT議員のガイドはなかなかのもので、彼のアドバイスに沿って観れば(先達はあらまほしきことなれ)まあ間違いはないと、丸投げしていた感がある。 10/20松江の研修は昼までだったので、松江をもう少し見るか、次の出雲に出るかという判断。先方のマイクロが松江駅に運んでくれたので、今更松江城に戻る事にはならず、まあ駅ビルで「出雲そば」を食おうなどという話になった。せっかくなら駅ビルの「出雲そば」ではなく、出雲大社のそばで食おうじゃないか!と。僕も、ありきたりの駅ビルではなく、一刻も早く永く現場の方がいいと思い、出雲大社直行に賛同した。 紹介された名物出雲の割り子そばは、それはそれでよかったのだが、後半の時間配分を考えれば、昼食は各自に任せてフルタイム自由を提案すればよかった(離脱すれば済む)。要は予習不足・熱意不足なのだ。広すぎて団体行動には限界があるので「〇時に大鳥居前に集合」として各自フリーとなったものの…… 何せ初めての場所だったので、まずは本殿に参詣して、娘たちの縁結びをお願いして、最近できたという『古代博物館』とやらを観て、肝心の『神門通り』に着いた時はもう時間があまりなかった、という訳である。 境内の入り口である大鳥居から本殿までかなり歩かなければならなかった。その膨大な敷地の本殿そばに駐車場を作ろうと思えば出来なくもない広大さだった。駐車場はこの大鳥居の外で十分であり、さらに門前町(神門通り)の数百メートル離れたところで十分なのだ。駐車場が遠くても観光客参詣客は歩く=それだけの吸引力があるということ。と、断言はできないわけで、そこに様々な仕掛けがある。その仕掛けが翌日の講義で解き明かされることになったのであった。 以下蛇足(参考覚書):あまり面白くないので読み飛ばして結構です。 ![]() JR出雲駅そばのホテルから出雲大社へは8人乗りタクシーで移動した。豪華な昼食(そば)もあったので、プール金は底をつくのじゃないかな?と心配しながら、帰路は稲佐の浜(神様が集まる海岸)や旧大社駅(重要文化財)も巡った。 3泊目の夜、またぞろ「一緒に飯を食おう」「肉肉という話があるから、今夜は焼肉だ。」と。実は、毎晩一緒がイヤなのであって、しかもそれが金のかかる魚ばかりだったので、集まるなら「肉」というぐらいの意味だったのだが、通じていない。前夜逃亡して別行動していたので「今晩が最後だ」と言われ、まあしょうがない、と参加。参加したのだから文句は言えない。が。 まだ予算はあるのだろうか?焼き肉店に着座すると、いきなり事務局が、冒頭、「プール金が底をつきそうなので、各自4000円ご負担ください。」と。プール金も新たな負担も同じことだが、新たな負担は想定外だ。本来であれば、ホテルを出る前「今夜も一緒に飯を食おう」の提案の際、「プール金が既に無くなりつつあって、新たな負担が発生するけど」と前置きがあれば、僕は参加を控えて、つつましくラーメンか何かで過ごしたのだけど……。 「僕は金を持ち合わせていないので帰ります。」と席を立ってもいいのだけれど、大人げないのでやめた。例によって際限無き注文が相次ぎ、さらに追加負担3000円で決着した。7000円の夕食は僕には痛手だった。随行職員はイヤな顔一つせず談笑し、負担も割り勘。僕が職員だったら、ストレスのピークだろうと思ってしまう。 せめて昼間の視察研修をきっかけに建設的な意見交換があるとか、面白ければいいが、残念ながら研修に話を振っても深まらないし通り一遍の感想どまり、そもそも飲んで話す話題ではない。話はすぐに愚にもつかない世間話に流れてしまう。こうして愚痴る事そのものが自分の優柔不断を再確認し天に唾するとはこのことだけれど。 旅費規程の問題は、また稿を改めるつもりだが まだ10年前まで、旅費支給はデタラメで、カラ出張すれすれの大盤振る舞いだった。領収書添付を規定しないため、航空賃は正規料金定額を支給されて、実際には宿泊パックを使うことで(宿泊も込みなのに、宿泊費定額も二重取り)実費をはるかに超える旅費をせしめていた。これは議員に限らず、職員もしかり、高度成長期の企業もしかりではあったが。 三役と議員はグリーン車を使うことを条例で認めている。これを拡大解釈して、グリーン車を使わずグリーン料金を着服する裏ワザが公然と認められていた。 だから、出張と言えば、豪華な宴会とお小遣いは当たり前なのだった。 この辺りを僕は徹底的に追及し、古川市長の時代になってようやくあるべきところに落ち着いてきた。まだまだ改革の余地はあるが……。(僕の過去ログから『旅費』の検索ワードで見ていただければ、その悪戦苦闘ぶりはわかってもらえると思う。) 出張回数の多い当時の三役から恨めしそうな視線は感じたが、あまりの正論に僕の主張に文句言う者はいなかったし、徐々に旅費は正常化されて行った。同僚議員からは何度か、「松坂のおかげで、視察でゆったり飲めなくなった。小遣いがが出なくなった。」の声は聞いてきた。本音も混じってはいても、昔はよかったのになあ程度のジョークで、税金の無駄遣いを改めた松坂に、してやられた、というやっかみの評価だと受け流していた。 今回、酒宴の席で、改めて言われてしまった。「松坂のせいで、存分に飲めなくなった」と。酔った目はスワっていた。やっぱりこの人はこの程度なのだと黙殺するしかなかった。翌朝はけろりと忘れている。 旅費の差額で飲める時代ではなくなったと承知しているくせに、視察の夜は毎晩飲むんだという習慣は改まらない。自腹だからこれ以上攻めようがない。巻き込まれる周辺が災難なだけだ。 2次会になるかならないか。群れたまま同じ方向に歩くメンバーからはなれ、一人出雲駅周辺の街並みを散策した。(翌日の事例は、出雲大社周辺で別の場所だが、もう一つのテーマ:出雲の真のブランド化も念頭に……)電線の地中化など整備された駅前縦通りに比べ、昔から続いているらしい横の通りのアーケード街はかなり疲弊していた。 夕食前に訪れていれば、もう少し様子がつかめたのだが、延々と続いた夕食宴会のあと、商店街はもう暗くなっていて全容はつかめなかった。何か暗い気持ちで彷徨した。 すると、同じ街なかを歩く者がいた。なんと、前夜も一緒に歩いたJ 議員である。氏も又、群れを離れて一人、街の点検をしていたのだった。二人してさらに歩いた。街並みを点検しながら、街づくり論議を交わす事が出来た。ちょっと救われる出会いだった。 視察研修報告⑧松江の観光 | 視察研修報告⑩:出雲のまちづくりバカ ▲
by mmatusaka
| 2016-11-01 12:29
| 島原の自治と議会
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Comments(1)
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