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2017年 12月 31日
12/31から1/1への一晩は、やはり特別である。宇宙の中での星の動きは昨日も今日も同じであるのだろうが、人間たちは1日とか1年とかを区切ったので、その変わり目は特別な時間になった。
1年を振り返り、来年はどう過ごそうかと考える。 ![]() 今年は、市政報告会の案内(市内)・年賀状(市外)を年内に発送できた。と言ってもほんのさっきのことだ。一年の中で、特にお世話になった方たちにお礼状かたがたメッセージを届けるチャンスなのに、昨年までの記録を整理するのがやっと。 45年以上前に会った切り、年賀状だけの交換が続く友人もいる。それはそれで、当時の記憶がよみがえり、自分の原点は何だったのかに思いをはせるいい機会だ。一方で、身の回りに山と積まれた情報を整理し、処分しちょこっとばかり掃除をして、多くはまたそのまま束ねて「そのうち処理しよう」と。 写真業をしておるので、正月は元旦から仕事なのだ。元日は正月にしか集まらない家族が揃うということで、家族写真の撮影など。二日は同窓会の集合写真など。そして三日は(島原市の)成人式式典ということで、晴れ着のお嬢さんの撮影がピークとなる。 年の暮れのクリスマス会の仕上げもまだ途中。散らかったスタジオを大掃除。昔はワックスがけまでやっていたが、何もこの寒い時期に(節目だからと言って)無理することもないかと、楽な道を選んで、簡単な拭き掃除程度だが、それでも日々の未整理が積み重なっているので、大変だ。 結局、大みそかは、もっぱら年賀状を書きながら、店(スタジオ)で作業をした。それなりに来客もある。9時になったので、テレビをひねってみた。(その昔ほど、紅白歌合戦を!とは思っていない。この頃の年末年始のテレビは3時間4時間当たり前、24時間というのまである。かつては1時間、洋画の2時間が長いなあと思っていたので、2時間45分の紅白は長すぎて(子供が最後まで見るのは無理であるというのが相場だったのに)…… この頃は6時だか7時だかから始まるらしい。テレビをつけてもほとんど見ていないのであるが、たまたま、手を休めてコーヒータイムにしたら、欅坂46の『不協和音』が流れた。ふ~ん、これが枝野さんの思いを代弁したというあれか、と。 この一年も、でたらめな政治だったなあと、思うし、原発にせよリニアにせよ、アメリカの相変わらずの横暴、世の中はどんどん悪い方に向かっている。人間は(日本人は)どんどんダメになっていく。個々人の中でそれぞれ向上する者もいるはずだが、総体としての人間社会はけしていい方向に向かっていない。政治に身を投じているゆえに、申し訳ない気持ちである。 さて、あとひと踏ん張り、掃除。2018年、物忘れのひどくなった自分をコントロールしなくてはならない。皆様良いお年をお迎えください。今年もお世話になりました。また来年よろしくお願いします。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-31 22:31
| 個人的なこと
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2017年 12月 26日
![]() 12/25 12月議会最終日。疑問型・反語型を使って重厚に攻める予定だった。 議会に議論は存在しない。議員たちは儀式をやっているだけ。彼らは議論を信じてはいない。誰が勝つかだけに関心がある。 議会に議論が無ければもちろん民主主義など絵に描いた餅。そもそも、普通の人々が言葉をより所にしてはいない。それぞれが好きなように音を出して、好きなように解釈している。対話が成立していない事に慣れてしまっている。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-26 18:10
| 島原の自治と議会
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2017年 12月 24日
![]() 自分の中では、本作品中の場面をしばしば引き合いに出すので、かつて本ブログでも取り上げているかと思い、ブログ内検索をかけたが出てこない。改めて、紹介方々、感想等を述べておこうと思う。 自分を、二枚目俳優ヘンリーフォンダ(しかも一番かっこいい役)になぞらえるのは、たいそう恐れ多くもおこがましいのであるが、島原市議会議員になって、いつも自分をヘンリーフォンダ扮する8番陪審員に重ねていた。 有罪・無罪が日本語訳なのだが、「疑わしきは罰せず」「合理的に有罪でない限りは無罪」という大原則がある。そういう意味では、Guilty・Not Guilty の方がしっくりいく。「本当に有罪なのだろうか。有罪ではないのではないか?」Not Guiltyというわけだ。 12人の陪審員の中で、8番陪審員だけが「確信をもって有罪にできない。」と異を唱えるところから、話が始まる。ほとんど罵倒に近い(まさに怒れる男たちによる)集中砲火、当時の島原市議会での孤立無援状態での自分が重なるのである。 議会と違い、陪審員制度は全会一致なので、論理の応酬があって、少数意見が尊重される。もちろん今の日本の地方議会と言えども、最低限の発言は保証されるが……。主人公の巧みな話術や論理構成もあるが登場人物たちの個性も手伝って、少しずつ主人公の訴えが理解され、かたくなな反対者(有罪を主張する人たち)の理解を勝ち取っていく。 その最初の理解者が老人の陪審員だ。僕は議員二期目、清水宏議員に出会って、この老人陪審員を連想した。たった一人のNot Guiltyが二人になるのだ。そして……。 新たな感想。 この作品は1954年という。もう60年以上前だ。12人の陪審員が全員男なのだから、自由の国アメリカと言えども、まだまだ女性の社会参加は厳しかったのかなあ。当然その当時日本だって、法的には男女平等男女同権だった。そんなアメリカでも女性の地位はうんと低くて、スラムに住む連中は犯罪者予備軍扱いだったわけだ。そんな人種差別が背景にある。 頑固な人種差別主義者である陪審員が、徹底的に偏見に満ちた意見を言う。当時の時代背景を考えれば、なるほどと思うが、今はもう違う。違うはずなのにこの差別主義者の存在感がすごい。聞いていて嫌になるが、60年後の今も、アメリカをそして日本を世界を支配しているように感じてしまう。 この差別丸出しの陪審員役が、一島原市議会議員に背格好声質そっくりで、そのかたくなな差別主義までが連想された。登場する陪審員たちはこの陪審員と50っ歩100っ歩なのだが、そっくりそのまま現代世界に通じ、島原市議会にも通じる。 この芝居で、この差別主義者と最後まで有罪を主張する金髪男はトランプ大統領を連想させるメイクアップだったが、おそらく偶然ではないだろう。 この作品は、勇気を与えてくれる。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-24 14:03
| 個人的なこと
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2017年 12月 22日
またもからくりに気づいてしまった。
専門用語がたくさん出てくるので、何かの機会に「地方自治用語解説」をセットに、わかりやすい説明を試みたいところだが、本日のところは自分の気づきの記録(備忘録)ということで、概要だけ報告したい。 役所の中の総務部局の中の「財政」(予算書や決算書を作る)部署経験者ぐらいしか理解できないかもしれない。読み飛ばしてもらっても結構です。 どうして、財源もないのに、市長三役、議員、そして職員全員にボーナスを増額したり、給料を上げたりできるのだろうか。歳出には必ず歳入がセットのはずだ。 どうして参議院選挙直前になって、人口の18%を占める高齢者に3万円をばらまくことが出来たのか。福祉課の職員はこの買収選挙運動の片棒を担がされ多忙を極めた。政権は「おカネを配りなさい」とけつをたたく一方で、その財源をしっかり確保した。国は借金したかどうかはさておいて、地方自治体においては、歳入に「国庫支出金」の入金があって、歳出に「臨時福祉なんたら金」を計上できる。補正予算案、議会は、財源保障があるのなら応じざるを得ない。 横道にそれた。 民間で、従業員に給与やボーナスを予定外にはずもうとすれば、異例の増益収入があったのならいいが、そうでなければ銀行から借金して回すことになる。 市役所には(地方自治体会計予算には)「予備費」という歳出項目(款)があって、島原市は2000万円だ。予備費というのは、名前を変えて、他の費目に充当できる。 例えば、今回の給与増額に1800万円必要なのだが、財源のめどはたっていない。歳入に国庫支出金が見込めるはずもない。ならば、歳入はいじらず 歳出で予備費の頭に三角をつけて 「予備費△1800万円」並べて「給与費1800万円」でいいはずだ。 こんなことやったら、「なけなしの予備費を市民のために使わず、職員と三役議員で使いこんでしまうのか!」と批判を浴びそうである。 補正予算書を見ると、歳入に 補正前繰越金744万 補正額1812万 補正後9253万 と。何だ繰越金という財源が新たに1812万円見込めるのか?と錯覚してしまう。 実際の財布では、お金に○○費の名前はついていないし、税収やら交付税やら順次入ってくるし、様々な経費が出ていく。だから実際にはお金は回るのだ。タダ形式的に予算書として、歳入と歳出がバランスをとる。役所は予算主義なのだ。 おかしいではないか?!役所の出納閉鎖は5月。ならば前年度繰越金は6月補正で、歳入にきちんと上げて、とりあえず使い道がないなら「予備費」で計上するのが人の道ではないか。 前年度繰越金は、最終的には当然決算書に載ってくるのだが、役所というところは毎年数億発生する繰越金を、補正予算調整に使うのである。恐るべきどんぶり主義。 まさかの非常時に備えた市民のために使う予備費(すべて歳出は市民のためだし、職員や議員に払う給与報酬も、市民サービスのためである)。予備費を取り崩して、当初予算案では想定していなかった三役議員職員のボーナスを加増するのでは説明がしづらい。前年度繰越金も本来はいろんな費目の歳出を抑えて発生した大事な財源に変わりはない。少なくとも今回の突発的な財源のめどの無い一方的な働く者改革と申しましょうか、 市民のために汗水たらしている三役議員職員に大盤振る舞いして(市民サービスはそのまま、非常勤非正規職員は安月給のまま)、あたかも、繰越金という臨時収益があったかのように補正予算書を調整する。 これは全国の自治体の予算案づくりの常套トリックなのだ。一言でいえば5月末に確保した前年度繰越金を無駄遣いのたびに小出しに計上してつじつまを合わせる。ということなのだ。 町内会等の総会では決算書と予算書は同時提案なので、前年度の残金「次年度繰越金」はそのまま新年度予算の前年度繰越金になる。決算書の次年度繰越金に対応する行に「予備費」として端数を計上するのが常だ。 役所の場合は、3月の予算段階では前年度繰越金は未確定なので存目勘定と言って千円だけ歳入予算とする。一方、歳出予算では「予備費二千万円」を計上する。 本来なら、毎年の実績から予測して、繰越金は数億円予算歳入計上して、同額を予備費で歳出計上すれば理に適う。 ※(覚書)地方交付税は国からの支援ではない地方の独自財源なのに、国からありがたくいただくものと思い込まされるトリックに通ずる。財源の当てもない予算が財源保障できているかのように思い込ませる繰越金トリック。 ご清聴ありがとうございました。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-22 01:15
| 行財政改革
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2017年 12月 21日
あまり面白くもない話なので、せめて挿絵ぐらいは楽しい感じに。
![]() 味噌も糞も一緒、などと随分下品な表現だけど、ちゃんと広辞苑にも載っている言葉なんだって! 市長副市長のボーナスと議員のボーナスは、それぞれ別の条例で定めてある。 ○市長及び副市長の給与に関する条例 ○島原市議会議員の議員報酬及び費用弁償等に関する条例 市長と副市長はもちろん仕事の内容は全然違うが、こと、給与については一緒に決めてあるというわけだ。市長の給料月額は877000円、副市長は709000円で、期末手当はこの月額に1.15をかけたものを基礎額として6月に支給する場合においては100分の155、12月に支給する場合においては100分の170を乗じて得た額としてある。 ちなみに教育長の給与は ○教育長の給与等に関する条例 で別に定めてあるが、その中に期末手当については「市長及び副市長の給与に関する条例 の例により支給する」と規定されている。 今回市長副市長のボーナス期末手当を夏冬合わせて、100分の330に加増すれば自動的に教育長も連動する。 まあ、それぞれに意味があって、それぞれに条例があるわけだ。 今回、全く別の条例である、二つの条例 ○市長及び副市長の給与に関する条例 ○島原市議会議員の議員報酬及び費用弁償等に関する条例 を、一緒くたにして、 ○市長及び副市長の給与に関する条例及び島原市議会議員の議員報酬及び費用弁償等に関する条例の一部を改正する条例 という長々しい名前の条例を出してきた(市長提案)。 まだ、 ○市長及び副市長の給与に関する条例等の一部を改正する条例 としなかっただけまし? 市長副市長の加増は認めるが、議員の分は認めないという判断が出来ない。片方認めなければ自動的に他方も認めないことになってしまう。味噌も糞も一緒とはこのことだ。 どっちがクソかは読者の判断にゆだねるが、この提案のしかたは、議会運営の基本から外れるデタラメ手法だ。 安保関連法案の提案がまさにこのデタラメ手法であった。 議会運営委員会で、全国の議会が、国家公務員給与改定に伴ってボーナス加増の議案が上がっているがどうしようかと議論があった。議会事務局から言い出したのだが、事務局が自主的に出したのか、議員が言わせたのか、はたまた市長部局からの打診だったのかは分からない。 議会にも提案権があるが、本条例改正は当然予算措置が必要なので、予算編成権のある市長部局提案がふさわしいという考え方もある。 市長に出してもらおう。ということになった。 この意味は「(前回のように)市長副市長の分とワンセットの議案として出してもらおう」という意味だったようだ。外野から(議運傍聴席から)別々の議案として、(味噌は味噌、クソはクソとして)出してもらうべき!とヤジを飛ばしたが、全く議題にする気もない。 いずれにしても、市長が応じるかどうかではあるが(応じた) ○市長副市長のボーナスを上げることは妥当か ○議員のボーナスを上げることは妥当か それぞれ別の議案でやることで 執行部(行政)の評価が審議され、 立法府(チェック機関)の評価が求められる。 これを一緒くたでやってしまおうというのだ。 壱岐市長のように、別々に分けるどころか、分けたうえで、片方は取り下げる例もあるわけだ。 堂々と青信号を渡ってほしい。 赤信号だとわかっているから、 みんなで渡れば怖くない。という論理になる。 議会はとにかく決定するところ。自分たちの待遇を決定することは「手前みそ」と言われかねない。心情的に苦しい判断だ。 (ぬぬ、味噌は議会か?ならばクソは市長?) だから手前みそと言われないために、報酬等審議会に諮って、その答申を受けるのである。その第3者の意見を聞いて、その上で判断するのである。 その報酬等審議会、例によって今回も「額を決めるのではなく、月数を変えるのだから、審議会召集の必要はない」というわけだ。 バカも休み休み言え、その法の趣旨は、「予算に変動がある場合は」という意味であって、例えば支給日を6月12月でなく5月11月に変更とか、そんな場合は審議会は必要ないという意味であることは明白だ。 森友学園の値引き交渉のような話だ。金額の話は出たが価格については話していない。と。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-21 20:19
| 島原の自治と議会
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2017年 12月 20日
![]() ![]() 本日12/20は予算委員会だった。職員(正規職員のみ)と市長ら三役と我ら議員の給与報酬値上げを前提とした補正予算案。値上げ条例の可否は25日だ。僕は山のような理由があって、いずれの(職員の給与アップ、三役と議員のボーナスアップ)条例にも反対なので、当然本予算案には反対した。
そんな矢先、壱岐市議会がなんとその最終日、議員の報酬アップの条例が否決されたという情報が飛び込んできた。 島原市議(議長副議長は別)は報酬月額、359000円。僕が議員になったときから確か全く変動していない。ただ、景気に応じてボーナスが多少上下してきた。今回はボーナスを0.05カ月(市長らと一緒に)上げるのだという。職員は給料表基本給を上げた上に0.1カ月ボーナス加算。財源は無い。 壱岐市は、かつては町だった経緯もあって、現在の議員報酬は30万円/月という。高いか安いか。壱岐市議会、報酬アップを拒否と聞いて、選挙が近いのかな?と思って確認すると、ついこの夏に終わったばかり。環境としては、(パフォーマンスでやせ我慢の必要もないので)一番いい時期の提案かと思う。 島原市などた自治体と比べれば通しやすい環境だったはずだ。2万円増額の提案だったらしい。それを拒否したわけだ。 島原市などは、長や議員の報酬を変更する場合は第3者で構成する報酬等審議会の答申を受けなければならないのも無視。本俸はいじらないで、ボーナスの月数だけだから関係ない、と。相も変わらずでたらめだ。 壱岐市の場合は、きちんと報酬等審議会の答申を受けて、市長も議員も上げるのが妥当であるというお墨付きをもらっている。そのうえでの提案を蹴ったのである。 実は、市長も上げていいよと答申を受けながら壱岐市長は、自らの加増案は不要として、条例そのものを提出していない。まあ簡単に言えば、報酬等審議会から「もっと貰いなさい」と勧告があったのに、市民生活の状況を見て、よくないと判断したのだ。議員の分は、審議会は上げろというけど、判断は議員さんでどうぞ。というわけだ。 島原市は、市長も議員も同じ上げ幅だから、一緒でいいさ。と。何と二つの条例を一本にしての乱暴な提案だ。もちろん報酬等審議会は開いていない。 今回壱岐市は、基本給のアップだけ提案して、否決。ボーナスについては触れていない。 ついでに言えば、国家公務員の加増案に準じて、市役所職員も大幅アップを提案した島原市ほか多くの自治体を尻目に、壱岐市は職員加増条例は提案していない。 (来年3月に、周りの自治体や組合に押されて提案があるかもしれない。その時はどっちみち4月までさかのぼる。)ただ、いずれにしても、率先しての提案はしなかった。このまましないかも知れない。 僕が、 今しかも過去にさかのぼっての加増はいかがなものか 市長と議員の別々の条例を一本でまとめる理由は何か 国家公務員加増の内容は? 人事院勧告の内容は? 財源としての税収は上がっているのか? 臨時職員は置き去りか? 報酬等審議会の答申結果は? と質問をするのに、ヤジを飛ばして妨害ばかりする議員たち。 半分も聞けなかった。 (後は、総務委員会付託で、そこでキチンと審議してくれと要望を付したが、十分審議は尽くされていないようだ) 壱岐市と島原市のどこに違いがあるのだろうか。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-20 21:03
| 島原の自治と議会
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2017年 12月 19日
![]() ![]() (テレビドラマで、市民のことを懸命に考えている市長が『民衆の敵』!と罵倒される。) トヨタもスバルも平気で不正をしていた。大林組を発端にまたぞろ談合。日本の良心はどこに消えたのだろうか。原発村や米軍産共同体の論理はどう考えてもウソなのに、ウソに寄り添うマスコミ。我々議員も報酬で飼いならされているのだろうか。 本当のことが伝わらない。 12/18 教育厚生委員会(市議会常任委員会)だった。保育園民営化のこと、そして、例の公務員給与増額の予算予備審査。その時間帯、諫早北部排水門前では海上デモがあっていたようだ。 諫干問題はまだまだ終わっていない。日増しに海が汚れ続けている。まるで終わったことのように、「松坂さんは開門派ですか?」などと聞かれる。 あたかも水門は開かない前提で決着する方向、裁判所が何と言おうと国も長崎県知事も開門しないと言っているから(安倍安定政権では)もう確定ですよ、と言わんばかり。 閉ざされた門に向かって、「開門せよ!」と叫んでも無駄ですよ。と。で多くの国民市民はあの門は締め切られたままで、未来永劫開かないと思っている。 門を締め切ったままだと、あの堤防道路(海抜7メートル)で締め切られた調整池は雨水排水が溜まって、諫早市街は水没する。わかりきった事実だ。水位調節のために門は開けるのだよ! で、今回の海上デモ!『大量排水の即刻中止!』と。連日有明海を汚染し続けている、汚濁水の存在を明らかにしてくれた。 諫干は未来永劫、汚濁水を有明海に流し続けるという事実を忘れてはならない。 水門を常時開けば、先ずは海水の浄化機能、更には復活する干潟により浄化機能で汚濁は止まる。 自然を馬鹿にするな! ▲
by mmatusaka
| 2017-12-19 10:37
| 諫干・環境
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2017年 12月 15日
![]() シールズの若者たちの出現は単なるブームではなく必然だったと思う。現代は、間違いなく退廃に向かっている。文明は加速度的に進んでいるが、人間そのものは悲しいくらいに退化している。 僕自身は、その時代認識を持ち続けているという自負はある。そして人間が、現代社会が向かうべき方向も見えているつもりだ。しかし手詰まり状態だ。 数は多くないが同じ志の者は年長者の中にも存在する。次世代にその芽を期待しつつも種まきに失敗してきた。責任は重い。 反面教師か突然変異か、それなりにまかれた種は枯れることなく生き延びていたのか。 若い人たちに尊敬すべきおそるべき人材が輩出している。なんだ、憂えなくてもよかったんだと安心もする。 僕もじっくり話を聞くのは初めてなのだが、若い世代の「政治参加」に大きな役割を果たしたひとり、座間宮ガレイ氏が島原入りするという。参加費1200円ということだが、ぜひ参加して話を聞いてみようと思う。 後世に席を譲るのもいいが、隠居するには早すぎる。彼らを先頭に立てて、応援するのもいいかもしれない。新たな発見があって、新しい年配者の生き方も見えるかもしれない。 記;12月16日(土)午後1時~ 有明グリーンウェーブ 座間宮ガレイの選挙お勉強会。1200円。 冒頭に示したフライヤ(チラシ)は地元島原の若い女性(子育てママ)の作だ。なかなかの感性だと思う。先に紹介したテレビドラマ『民衆の敵』は子育てママたちをターゲットに政治が動いた。 彼女たち、(こちらは環境運動かな?)先般我が森岳酒蔵を活用して、映画上映会を開催してくれた。(この酒蔵の話はまた色んな広がりがあって、そこでも「後生畏るべし」なのだが)小さなうねりだったが、狭い酒蔵で十分な熱気が伝わってきた。新しい時代の予感が感じられた。 その上映会は予告編だったのだが、今回本編『ほたるの川のまもりびと』の上映会と相成った。彼女たちが仕掛けた運動が着実に広がろうとしている。 ![]() 幸運なことに、志を持ち続け、諦めないで、目を開き・耳を澄ませていれば、情報が届く。「歴史」に立ち会うことが出来る。どのみち歴史には巻き込まれるわけだが、その最初の場面から関わることが出来るのは人生の醍醐味だ。 皆様の参加をお待ちします。毎度急な案内ですみません。女神の前髪をつかみましょう。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-15 21:43
| 島原から日本を変える
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2017年 12月 15日
![]() 今回はボーナスだけでなく、給料表(俸給表とか級別号給表とか)も上方修正。人勧に沿って国家公務員の給与が上方修正され、地方もそれに準ずるのだという。 人勧(人事院)が言うには、民間は景気が良くて、給与が上がっているから、国家公務員も上げるのが妥当。と。 島原も景気が良くなっているのか? 調査機関(人事院・人事委員会に当たるもの)がないからわからない。 景気の反映である市民税は増収になっているのか? …… ともかくも国家公務員に準ずるという。 国家公務員は級別定数というのがあって、原級の上の級に空きが無ければその級にとどまるしかない。その級にとどまると言っても、定時昇給は平均4号俸上がる。 自治法等の解説によると、 給与支給の基準としての級別定数は、定数(職員総数の定数)条例及び給与予算の範囲内で長が定めるのが適当である。としているのだが…… 島原市も、その定数は定めていない。(定めてもそれは規則:市長専権であって条例事項ではないが)せめて健全経営の目安になろうかと思うのだが。 島原市の場合、上級(5級・6級)は役職が伴うので、実質的に級別定数が設定されているのと同じ。下級中級(1級~4級)には枠がないから、その級に最低○年間は在籍しなければならないという期間を過ぎると、ほぼ無条件で上位の級に上がる。 結果(一般事務職312人中、)1級18人、2級34人、3級80人、4級125人、5級22人、6級33人で、4級に固まっている。逆ピラミッド、部下のいない中間管理職?がひしめいている。 地方公務員は国家公務員に準じる必要はない。理由は山のようにある。国に準じるのが妥当であれば、法で(国で)地方公務員給与まで決めればよいのであって、何のための地方議会なのか! ずるいなあ、と、いつも思うのは国家公務員に準じると言いながら、実はいいとこどりであることだ。 監視すべき議員にもニンジンをぶら下げる。「議員さん方あなた方の職種は国家公務員の特別何たら職に該当するので、今回ボーナス0.05か月分上げるのが妥当と思われますので、一緒に提案させていただきます。」と。 最初から監視など考えていない議員も多く、役人と一緒になって、山分けの画策に参加するものも多い。多くは何も考えていないので、結果として「公務員の生活が先、市民の生活はあと回し」という側に与してしまう。 姑息な役所集団が悪いのか、だまされる議員が悪いのか、そんな議員しか送り込めない市民が悪いのか。今日の公務員天国(官民格差野放し)が、目の前に不動の王国として存在しているという現実がある。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-15 11:03
| 行財政改革
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2017年 12月 14日
![]() 今回の一般質問も「市民目線」を強調し、役所目線じゃだめですよ!と攻めたのだが中々通じない。そもそも、「政治は民のためにある」という大前提が崩れているから、通じるはずもない。せめて市民に見られているよと警告を発するが、市民は本当のことが見えているのだろうか。 不都合な真実が見えないように見えないように誘導煙幕を張る。改めて「民」とは何かと考える。 漢字の語源を言えば、人の片目を針で突き刺した象形文字という。人々を奴隷のように隷従させるために目をつぶしたとも、漢字学者白川静は、目をつぶしたら労働力低下になるから奴隷説は取らないが、生贄とか外敵とか、人の目をつぶした「民」が今日の民の語源に変わりはない。 阿久根市(元市長・現市議)竹原氏がこの民の語源を議会で引用したら市民蔑視とかナントカで懲罰を受けたらしい。懲罰を言い出した議員が竹原さんを何が何でも貶めたいと願っているのは毎度のことだけど、無知の思い込みで話にならない。阿久根の市議に限らず、多くの議員は自分で調べないのだ。相手の発した言葉が不適切な差別用語と決めつけてしまったら、その思い込みで突っ走るわけだ。情けないのは同調して動く烏合の衆(議員たち)である。 法解釈とて、裁判の解釈とて、自分がこうと信じた解釈を譲らない。自分たちの解釈に近い判例データだけを(事務局などに)集めさせる。事務局当局は忖度の限りを尽くして、同調する。それが自分たちの利害と一致するならば。 漢字の語源において「民は簡単に片目をくりぬかれて当たり前」であることは悲しいことだが、黒人奴隷が解放されて人間扱いされるようになったのも、そもそも女性が人間扱いされるとか、貧乏人に選挙権が与えられるとかになったのはほんの最近のことだ。民に悲しい(語源としての)過去があるからと、いちいち漢字を作り直すわけにもいかないだろう。 格差が広がり、支配階級は下層階級を人と思わない。カネが無い者は排除され、障害者は邪魔モノ扱い。格差を維持する様々な情報は巧妙に拡散され、不都合な真実は巧みに隠蔽される。まさに民の目をグサリ。 市民目線?!そんなものは存在しないよ。と言わんばかりだ。役所に飼いならされて、市長!あなたは市民目線を忘れていないか?!と問いかけた。 同じく同僚議員。初めから市民目線は関係なし、支配階級に与して自分(たち)さえよければという議員たちは論外。「民のために」と市民目線で議員になった同僚議員たち。いつの間にか市民目線を忘れていないか。 ▲
by mmatusaka
| 2017-12-14 18:34
| 個人的なこと
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