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2023年 08月 24日
![]() ![]() 夏の甲子園(8/23)慶応義塾がなんと107年ぶりの優勝という快挙を成し遂げた。慶應が勝ち進んでいるのを、テレビ放映などで耳にしながら、聞こえてくる応援歌「若き血」に、さすがに共感を覚えていた。この数日ずっと海の事を意識していたのだが、なぜか慶應は「陸の王者」ということになっている。 暗く面白くないニュースばかりの中で、まあ高校野球は、いつもさわやかさを届けてくれるが、今回の慶応の優勝は特に好意的に報じられているようだ。よく高校野球の評価に「よく鍛えられているチーム」というのがあるが、これは、指導者が選手たちを鍛えているということで、選手たちは鍛えられる受け身評価。今回の慶応にだけは当てはまらない。 慶應義塾では、学問世界においても「教育」は先生が生徒に教えるのではなく、「半学半教」。自分で学び、教え合う関係だ。 大谷翔平選手の活躍で、(そうでなくても、相変わらずの野球人気)、何万人もの人が毎日野球場に集う様子を、ともすると平和ボケと言おうか、よくもまあこんなにも多くの人たちが……。と。まあ、ローマ時代にもコロセウムはあったわけで、人々がスポーツ競技に熱狂するのは特別なことではないのだが、僕自身はこの(観客)スポーツ人口の多さに付いていけない(一けた多すぎる現代病ではないか?)と、変に憂えて心配するのだが。 まあ、いろんな娯楽や趣味があって、結構なことなのだが、僕の場合、ゴルフもパチンコもしないように競馬や競艇にも縁がない、文科系の映画演劇鑑賞とかコンサートとか、1点豪華主義で、一つ二つはあってもいいが、現代日本人はあれもこれも欲張りすぎではないか?(贅沢すぎないか?)という自分であれば、野球にせよサッカーにせよ、よくもまあ。 野球観戦などほとんど縁がない。どこか、観客よりはプレイヤーでありたい意識が強いからか。 そんな自分だけど、いわゆる早慶戦(慶早戦)の野球だけは例外で、肩を組んで「若き血」を歌ったのであった。恥ずかしくも懐かしい。
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by mmatusaka
| 2023-08-24 01:17
| 個人的なこと
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2023年 08月 23日
![]() ![]() ![]() といいながら、宿泊施設も限られていて、わが島原市は現地宿泊叶わず、福岡泊まり。現地をじっくり見ることが出来なかったことが残念だ。 福岡から船(ヴィーナス号)で郷ノ浦港へ。今時、本土はまるで帯で巻いたように海岸線はコンクリートの印象があるが、海岸線(陸と海の間)にコンクリートの帯が目立たず、少し心が和んだ。 かっこつけて(?)今回はノートをとる作業に変えて、新聞記者のように、ノートパソコンを広げて、その場でキーボードをたたきながら聴講した。 講演の内容は、かなり多岐にわたって、予算決算審査がテーマでありながら、議会選出監査の役割だの、地方交付税の話まで、広すぎて、20年選手の僕には、いろんな場面がフラッシュバック、色々考えさせられたが、ほかの皆さんはどうだっただろうか。 短時間研修で、せっかく懐かしい他自治体の議員と再会しても、じっくり情報交換ができないのはもどかしかったが、それでも、久闊を叙して刺激を受けた。 五島の中西議員との再会は、特にうれしかった。連絡を取り合って、仲間と夕食を共にした。中西議員は、親子ほども年の離れた若い議員で、この日、キーボードをたたきながら、一番意識していた議員である。(彼のパソコン使いはすごく、ユーチューバー議員でもある。目標とする議員だ) 宿泊地がともに(五島も島原も)福岡という偶然があって、面白い展開となった。 #
by mmatusaka
| 2023-08-23 23:48
| 島原の自治と議会
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2023年 08月 17日
![]() そもそも「核のごみ」を、ガラスで固めて、地中深く300メートルより深く、人間から10万年隔離しておこうという、普通の人が考えて、え、それって冗談?レベルの法律(2000年成立の『特定放射性廃棄物最終処分法』)に基づいている。大の大人が議事堂(議場)に雁首並べて決めたというのだから性質(たち)が悪い。 この法を根拠に、処分場の候補地の調査に応じると言えば20億円差し上げます。とかなんとか。原子力そのものが世に登場して、まだ100年もたっていないのに、10万年先のことを考えるなんて…… 中間貯蔵地、などと言って、そのまま、なし崩しで、10万年先まで押し付けるのじゃないか?!とかなんとか。いずれにしても、10万年先まで約束できるはずはないので、最終ではなく、途中(中間)でしかない。 閑話休題。関心の高い市民、国民の要求需要があって、通常なら、誰も覗かない密室議場の傍聴席は市民マスコミで埋まったようだ。翌日(8/17)の新聞にも、少し詳しく報道されている。 このところ、国も長崎県も、そしてわが島原も、自民党の(多数を背景に成す)暴挙は枚挙にいとまなく、無法非常識の限りを尽くしていて、諦めのムードが漂っている。彼らは、意図的なのか、無意識でやっているのか(陰謀論ではないが、その中枢の連中は明らかに意図的に)大事な事柄を、どうでもいいような事柄を多数織り交ぜて、決定していく。 今だけ金だけ自分だけ!と言われれば、皆さんムキになって、真剣なふりをする。もちろん真剣に考える者たちもいる。そういいながら、今回の対馬の核のごみ。テレビのサスペンスの文切パターンどおり、核ごみ受諾請願の推進役は建設業と(ぶら下がっているかいないか)議員たち。反対派もまた、市民たちという。そして、このパターンの場合正義の市民たちは少数で、利権に絡む少数のワルに物言えない住民たちはおどおどしている……(この段落の表現は、テレビドラマのパターンを言ってるだけで、現地を取材しているわけではないのであしからず。推進派の人たちは、おそらく本気で、まじめに考えて、核のごみを受けいれようと言っているのだ。……) 途中経過を見れば、松坂の想定より、賛否は拮抗している。比田野市長(僕と同じ年齢のようだが)が、議会多数派とべったりではないところが、この緊張感を維持しているのかもしれない。 島原市議会のように、「賛成多数」は14対4とかではなく、今回の場合9対7。9月議会冒頭で本決定になるのだろうが、一人返れば8対8。当面、両派の駆け引きは続くだろう。半年もしないうちに、選挙を控えた市長にとっては、刻ごみを受けるか受けないかを争点に選挙に打って出ることもありだ。 いずれにしても、今島原は刻ごみほどの問題はないが、介護保険がらみの一部事務組合(広域圏)議会の不正(不正人事=正当な手続きを踏まずに議員に収まった5人の議員がいること)、必要以上に密室(特別委員会)を演出して、有明の森フラワー公園の不正の矛先をかく乱しようとしてきた一部の議員たち問題。 今回の対馬議会の不透明さと同様、島原市議会も、採決の賛否を明らかにしない体質=誰が賛成し誰が反対したかの記録を表に出そうとせず、「原案可決」の表記で済ませてしまおうとする体質。問題は、一つ一つ小さなようで、実は大事なものが見えなくなるという、大問題をはらんでいる。 対馬市議会は、2007年3月。一度は「核処分場受け入れ反対」を賛成多数で議決している。さてその時の反対議員が、16年を経て何人残っているのか、何人寝返ったのか。請願の細かい文言も違いはあろうが、透明な情報公開が求められる。 僕のほうは僕のほうでできること(島原市議会の透明化)からやっていくしかない。対馬市民の健闘を祈りたい。 #
by mmatusaka
| 2023-08-17 17:07
| 諫干・環境
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2023年 08月 16日
![]() ![]() さらに輪をかけて、この時期、先の戦争時の(原爆投下時の)話になると、全て、あの頃は仕方がなかったこととして、許されてしまう。言葉の上では「戦争は絶対悪」と断りつつも、戦火を潜り抜けてきた人々の人格を貶めるわけではないのに、許されざることがまかり通る。 究極の具体的構図は、あの戦争は、侵略だったのか、欧米の侵略を食い止めるための戦いだったのか。と。今も続く、中東のニュースに接するたびに虚無的になっていく。 閑話休題。とうとう、この夏は一週間近く店を休む羽目になった。昨日(8/15)までと表示していた『盆休み』を、本日書き換えて、あと二日延長した。実は、家内制手工業である「わかば写真館」は、スタッフ全員がコロナに感染してしまい、このような結果となった。 結果として、いつ訪ねて行っても対応してくれる写真屋さんという長年の信用は、僕の時代になって、すっかり失せてしまい。それでもご利用していただいているお得意様からも「事前に電話してからじゃないと、会えない。」と言われるまでになってしまった。時代のせいもあるだろう。 今も昔も士農工商、営業時間も店休日もあって無きが如きだった。僕は2代目だが、親の代には、営業時間も休日も表示さえしていなかった。DP組合で毎月2回の定休日取り決めがあったが、たまたまその日に重なる日に、ちょっと店を閉め、出かけるときだけ組合からもらった表示板を立てかけていた。 大手(現在地)に移転開業(昭和33年)して、「一日たりとも収入の無い日はなかった。」と両親が話していたのは、僕ら兄弟が学業を終えてしまったころだったろうか。(昭和50年頃?)。「そうだね~、さすがに今日は(ずーっと雨で)一人も客が来なかったね」と、店を閉めようとすると、「フィルムば」とか「爺さんの死んだ!遺影ば作ってくれんね」など飛び込みがあったという。その話を聞いたとき、住居兼店舗で、一緒に住んでいたので、そうだったね、と、うなずいたものだった。 一年365日(しばらく店員を雇っていた時期もあるが)毎日両親二人で切り盛りしていたのであった。考えてみれば、小・中・高を通じて、一度たりとも家族で宿泊を伴う旅行はしたことがない。父親が(修学旅行の撮影同行で)留守の事、母親が何かの団体旅行で不在の事もあったが、もちろん子供の僕らが、合宿やらキャンプやらで外泊することはたまにあっても、この店が完全休業する日は、一晩たりともなかったのである。 今だと、(表示した)営業時間外に訪ねてくる人は「時間外にごめんね~」と言ってくれるお客さんもいるが……まさに昭和は遠くなりにけり。だ。平成・令和と時代は流れ、僕の代になって、働く時間は大幅短縮してきたが、今も真面目な商店主は、自ら定めた営業時間を守っている。年20回(?)までは、その日急に子供が熱出して休みますとか、有給で休める時代になった。(役所など、大いに融通が利くが、いまだに、自由に休めない中小事業者も存在するとはいえ、時代は大きく変わった。)いまだに「お客様は神様だろうが!」とパワハラまがいのおじさん(偉いさん)も存在はするが、「コロナになりまして」の切り札を出せば、「しょうがない。」と。 年中無休で働いていたのは、うちの親だけではなく(ひょっとしたら、うちだけ?)、普通の事だったと、認識している。勤め人の親を持つ級友から、家族で旅行に行った話を聞いても、うらやましいとか、思わなかった。商売人という職業の家庭の普通の子だった。 これまた同じ境遇でも、僕らの上の団塊世代の上の人たちは(高度成長時代の前を知っているだけに)あれこれ貧乏・苦労が重なって、これまた個人差家庭差があって、親代々の分限者もいれば、漂流する(借金に追われる)者たちもあったろう。ともあれ、自分の場合は、紆余曲折あっても、好きな大学まで行くことが出来た。 格差社会は広がり、どんなに、辛抱努力しても、人と同じスタートラインにも立てない子供たちが、少なからずいる。(もちろん、昔も、かわいそうな子供たちはいた。)。時代はいい方向に向かっているのだろうか。 #
by mmatusaka
| 2023-08-16 16:56
| 個人的なこと
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2023年 08月 15日
![]() (中略) ![]() Facebook記録を見ると、彼女とは2013年5月から(つまり一緒にスンチョン訪問した時)のFacebook友達。そこまでさかのぼって、当時どのような情報交換をし、いいねを交換し合っていたかを確認したいが、Facebookの仕様なのか、僕のパソコンの(容量的な?)限界なのか、2015年頃までしかさかのぼれない。その頃は、(今ならLINEだと思うが)メーリングリストとかメールでやり取りしながら、韓国への飛行機に乗った記憶があるが、当時のメールのやり取りを探し出せないもどかしさがある。悔しい。 ![]() #
by mmatusaka
| 2023-08-15 18:48
| 情報発信
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